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岡田彰布コラム

岡田彰布コラム「2010年から約3年間率いたオリックスは変革できず、11年の最終戦でCSを逃し今でも悔いが残っているよ」

 

オリックス監督1年目の2010年は交流戦で優勝したけど、その後なかなか改革はできず、11年の最終戦でCSを逃したのは今でも悔いが残っているよ/写真=BBM


人柄もよく陽気だったキーオの死は悲しいよ


 1年は短いようで長い。プロ野球に身を置き、毎年、毎シーズン、この長さを味わってきた。1月、年が明け、自主トレを始め、2月、キャンプ。3月がオープン戦で、4月に開幕。本番に入るまでに3カ月があり、そこから長丁場の戦いに入る。

 常に集中力を持ち、待っているゴールに向け、力を振り絞る。それはゴールがあるからできることなのだ。ゴールテープを切るとき、感じるのは充実か、それとも反省か。現役でも監督でも、同じ感覚で過ごしてきた。

 しかし、今は違う。一体、ゴールはどこなんだ。新型コロナウイルスにおけるゴール地点は、まったく見えない。これはやはりつらい。でも、やっぱり前を向くしかない。あとひと踏ん張り……、もう少しがんばろう……。ぼんやりかもしれないけど、必ず、ゴールが見えてくるはず、と信じたい。



 いろいろと心を巡らせる中、悲しい知らせが届いた。かつて同じユニフォームを着て戦った仲間の死……。マット・キーオが亡くなったと知った。1987年から4シーズン、阪神のエースとして投げていたキーオである。入団した1987年といえば、日本一になった2年後。チームはどん底にいた。85年が天国なら、87年は地獄。当時を経験したメンバーで“天地会”を結成したほど、落差を味わった時代やった。

 投手陣が崩壊し、打撃陣も極端に打てなくなった。最下位も仕方なし。そんなチーム事情の中、キーオはさすがメジャー・リーガーという光る投球を見せていた。特に彼には“魔球”があった。そう、ナックル・カーブという球種やね。当時、日本の投手で、あそこまで変化するボールを投げるのはいなかった。オレは内野を守り、ナックル・カーブの威力を間近で見てきたもんね。

 特に右バッターには効果的やった。体のほうに向かって行って、そこから急激に角度を変えミットに収まる。右バッターは当たる……と思って、のけぞるわけよ。中にはシリもちをつくバッターが多くいた。それほどの変化やったわ。この魔球を操り、4年間で45勝。コンスタントにシーズン2ケタ勝利をマークし、エースとして活躍してくれた。

 人柄もよかったわ。陽気なアメリカン、という感じで、イタズラ好き。チームメートにちょっかいを出しては大笑いしているような明るさがあり、みんなに好かれていた。父親が日本でプレーした経験(南海ホークス)があったこともあり、日本の文化や習慣にもなじんでいた。日本人のことをよく理解していたし、それも4年間の成績に反映されていたんやろな。

 バッキー、メッセンジャーとまではいかなくても、阪神の外国人投手の歴史に名を刻んだ名ピッチャーだったのは間違いない。64歳やったのか……。まだまだ若いのに……と残念でならない。ホンマ、安らかに、というしかない。

立て直す気概で受けたオリックス監督だった


 そんな中、今週の週ベは、球界の振り返り編ということで、2010年代についての特集。オレの場合、04年から08年までの5年間、阪神の監督を務め、09年は評論家としてネット裏から勉強させてもらった。そして、そのオフ、オファーをいただいた。それがオリックス。オレは迷うことなく・・・

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