サイドから投げ込む力強い直球、シンカーが武器のリリーフ右腕だ。2019年に東日本国際大からドラフト4位で入団も21年4月に右肘のトミー・ジョン手術を受け、同年オフに育成選手に。昨年、二軍で実戦復帰して今季は本格的にマウンドで躍動している。 取材・構成=小林光男 写真=BBM 1球たりともおろそかにしない──。強い意志が原動力となっている。今季は主にリリーフで支配下昇格期限となる7月末時点で20試合に登板して、防御率0.68と好成績をマーク。“支配下復帰”という朗報は届かなかったが、粟津の心はブレない。シーズンも残り少なくなったが、輝かしい未来を手に入れるために与えられた登板で結果を残すことだけを考え、集中してマウンドに立っている。 ──リハビリはつらかったですか。
粟津 正直しんどかったです。野球選手なのに野球ができない。一軍や二軍の試合を見ていても「俺は何をしているのかな」と。野球をやめたくなる心境に陥ることもありました。でも、1年くらいかかりましたが「一軍で活躍する」と目標が明確になって。そのために自分がどうあるべきかを考えたときに、やる気に満ちあふれるようになりました。
──やはり目指すところは「支配下復帰」ではなく、「一軍で活躍」なのですね。
粟津 ただ、試合で投げられるようになるだけではなくて、首脳陣もファンの皆さんも僕がレベルアップした姿を望んでいると思うので。今季は1試合1試合、より強い気持ちを持ってマウンドに上がりました。支配下昇格はかないませんでしたが、気持ちの面では変わらず、結果を出すことを目標に投げていきたいです。
──2ケタ背番号を勝ち取れなかった理由を自己分析すると?
粟津 枠もそんなにありませんでしたし、圧倒的な結果が足りなかったと思います。それに今年は(7月21日に支配下昇格した)豆田(
豆田泰志)がズバ抜けていたのだと思います。真っすぐはいいですし、奪三振率(二軍で11.53)も高かったですからね。
──粟津投手が支配下昇格し、一軍で活躍するために必要なものは?
粟津 僕は三振を奪うタイプではありません。しっかり駆け引きをしながら打者を抑え・・・
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