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プロ野球デキゴトロジー/11月11日

前代未聞の大騒動!清武の乱【2011年11月11日】

 

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月11日だ。

 2011年11月11日、前代未聞の騒動は、文部科学省の記者クラブへファクス送信された一枚の紙から始まった。

「本日午後2時から、読売巨人軍の専務取締役代表兼GMの清武英利氏がコンプライアンス上の重大な件について記者会見をする」――。

 弁護士から出された文章は、具体的な内容は一切なし。報道陣ばかりではなく球団と巨人の親会社である読売新聞も寝耳に水の報で、対応に追われた。清武英利球団代表に連絡を取ろうとしたが、それができない。そんな中、記者会見は、時間どおりに始まった。

痛烈なフレーズで渡辺球団会長の言動を断罪


会見での清武氏は時折涙を流しながら思いを語った


 清武球団代表が開いた記者会見の内容は、火を噴くような渡辺恒雄球団会長批判だった。2枚にわたる声明文で、球団人事をめぐる「不当」な介入に反発。(1)報告で岡崎郁氏の一軍ヘッドコーチ残留を了承したはずなのに、同氏を降格させ、外部から江川卓氏をヘッドコーチに就任させると11月9日に一方的に告げられた。(2)桃井恒和オーナー兼代表取締役社長のオーナー職を剥奪し、自身はGM職から外される――など内部の動きを暴露。「報告を忘れているなら、任に堪えない」「酔った上で事実に反する発言を記者団にすることは、経営者として許されない」など、痛烈なフレーズで渡辺球団会長の言動を、涙を流しながら断罪した。

 これに対し、渡辺球団会長も翌12日に「10月20日に代表から報告されたのは事実だが、クライマックスシリーズで惨敗した以上、多少の変更が必要なのは当然」「事実誤認、表現の不当、許されざる越権行為及び名誉毀損が多々ある」「GMとして適任ではない」と文書で反論。すると、清武球団代表もすかさず再反論。「報告を認めており、忘れているのではなく、虚偽の事実を述べたことは明白となった」。本来なら内紛のはずのやりとりは公開にさらされることで、泥沼の様相を呈することとなった。

 なぜ、清武球団代表は“球界のドン”とも言われる実力者に弓を引いたのか。読売新聞グループ本社会長を務める渡辺氏は、球団の取締役会長であり、代表取締役ではない。球団人事にタッチできない立場ではあるが、実際はそうではないことは清武球団代表が一番知り尽くしていたはずだ。

理想主義的な「モノを言う球団幹部」


 清武氏が球団代表職に就いてからの7年間は、前任者らに比べて異彩を放っていた。2009年に36年ぶりのリーグ3連覇を果たし、7年ぶりの日本一を達成すると、育成部を創設するなど独自の選手錬成プログラムをアピール。「育成の巨人」と標榜し、これまでの常套だった豊富な財力をバックにした編成手法からの脱却を目指そうとしていた。

 一喝して人を震え上がらせる高圧的な表情を見せたかと思えば、涙もろい激情家でもある。厳格な現実主義である渡辺球団会長の上意下達が当たり前の組織の中では、多少異質な存在だった。これまでと違うのは、理想主義的な「モノを言う球団幹部」だったということだろう。

 読売新聞記者時代は、社会部に在籍。ひるむことのない真っすぐな取材に定評があったという。その信念の固さはそのままに、新しいシステムを構築して球団を束ねるという強い意思があったことに疑いはない。常勝が使命とされる伝統球団において、結果が出ない“元凶”とされた無念さは想像に難くない。

 組織内の序列はあるにせよ、強烈な個性という意味では、清武、渡辺両氏には相通じるものがある。「僕は記者」と、両者は今でも言う。だが、絶対に相容れない部分があったのも確かだろう。

 信頼関係の崩壊から齟齬をきたし、自分の過去の実績や存在価値も否定されることは受け入れ難い。清武球団代表の一連のアクションには、異常なトップダウンというシステムに、一石を投じなければならないという使命感がにじむ。

 政治部記者出身として政界の重鎮にも一目置かれ、社内外に大きな影響力を持つ渡辺球団会長に対し、清武球団代表は権力に批判の目を向ける社会部の記者出身。世間の興味を引く公開の“ケンカ”を仕掛けた理由には、企業人から飛び出した一人の記者としてのプライドが垣間見えた。

写真=BBM
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