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トレード物語

【トレード物語14】阪急・上田&中日・与那嶺監督の積極策!4対3の大型トレードが実現【1976年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

日本シリーズ前から水面下で画策


76年の日本シリーズ第7戦で7回に逆転2ランを放って阪急の日本一に貢献した森本だったが……


[1976年オフ]
阪急・森本潔戸田善紀大石弥太郎小松健二中日島谷金二稲葉光雄大隅正人

 1976年の日本シリーズで巨人を制してV2を達成した阪急が、積極的にトレードに乗り出した。「阪急はこれからもV3、V4と続けていくチーム。打倒巨人に満足していると、知らない間にぬるま湯にひたることになる」と、上田利治監督。日本シリーズを戦うと、12球団でもっとも長く野球をしていることになり、来季の編成着手は遅れがちになる。そのために、シリーズ前から水面下で工作を続けていたわけだ。

 森本潔といえば、シリーズ第7戦の大詰め7回、逆転2ランを放ったヒーローだ。6度目の挑戦で、初めて巨人を倒した功労者の一人だといえる。だが、実はそのときにはすでにトレードは決定事項。ダイヤモンドを回りながら喜ぶ森本の姿を見て、上田監督はグッと涙をこらえたという。

 当初は、76年に12勝していた阪急・戸田善紀と、69年の入団時から主力だった中日・島谷金二の1対1だったらしい。戸田は、中日にとってかねてからの意中の人だった。一方、当時の阪急は、西本幸雄前監督の遺産ともいえる布陣が全盛期で、ネックといえば34歳と年齢が高く、往年のパワーに衰えの目立つ森本くらい。島谷なら、十分その後釜が務まる。

 話が進むうち、阪急から戸田に森本を加え、さらに大石弥太郎、小松健二。中日からは島谷のほかに76年に3勝だった稲葉光雄、大隅正人という4対3の大型トレードが実現した。

 中日はもともと、トレードによる補強にさほど積極的ではない体質である。62年のシーズン中、一時最下位にまで転落すると、「生え抜き選手をことごとく放出した濃人貴実監督のせいだ」と、ファンからの不満がもれる。濃人は確かに、就任初年度には杉下茂前監督カラーからの脱却を図り、2年目には元本塁打王の森徹(大洋へ)など、大量9人を放出し、ファンの不興を招いていたのだ。そして結果的に、この年は3位を確保したのに、濃人は監督を解任される。

 名古屋という土地柄の難しさ。その反動で以降、中日のトレード補強は当たり障りがなくなっていたのだ。

 ただ、72年からは与那嶺要監督が就任。ハワイ出身のアメリカ人である。76年の大型トレードも、名古屋の保守性より、自らの合理性を重視したのだろう。一方の阪急・上田監督も、西本の遺産だけではなく、上田色を強調するために、積極的に動いたフシがある。双方の思惑が一致し、大型トレードが実現したわけだ。

 もっとも、いざ77年シーズンが始まってみると、お得だったのは阪急のほうだ。島谷は、生涯自己最高打率の.325、22ホーマーを記録し、稲葉は3勝だった前年から17勝6敗で最高勝率を獲得した。

 一方、中日では戸田が6勝した程度で大石は未勝利、森本も出場は50試合に達していない。阪急がこの年、シリーズ3連覇したのとはあまりに対照的だ。与那嶺監督は、この“大赤字”の責任を取る形で退陣。以後中日は、86年オフに星野仙一監督が就任するまで、トレードに関してはまた保守的な姿勢を堅持することになる。

写真=BBM
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