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トレード物語

【トレード物語15】“ミスターホークス”小久保が巨人へ突然の“無償トレード”【2003年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

日本一のダイエーに走った激震


前代未聞の無償トレードで巨人に移籍することになった小久保


[2003年]
ダイエー・小久保裕紀⇔巨人(無償)

 2003年、4年ぶりに日本シリーズを制したばかりのダイエーに激震が走ったのは、日本一のパレードが行われた翌日の11月3日のことだった。大勢の報道陣を集めた記者会見に登壇したのは、中内正オーナーとチームリーダーの小久保裕紀。その席でオーナーの口から発表されたのは、なんと小久保の巨人への無償トレードだったのである。

 なにしろ小久保といえば、それまでダイエー一筋にプレーし、前年まで四番を打っていた“ミスターホークス”。この年はケガのためにシーズンを棒に振っていたとはいえ、それだけの選手が交換する選手も金銭もなしに放出されるというのは、まさに“事件”であった。

 発表を受け、小久保を慕う松中信彦が「ふざけるな! と言いたい。この球団は勝ちたくないんでしょうね」とコメントするなど、ダイエーのナインはあまりにも不可解な放出劇に怒りを隠そうとせず、優勝旅行のボイコット騒動にまで発展した。

 当時、小久保自身は口をつぐんだままだったが、10年近い時を経て出版した著書『一瞬に生きる』(小学館刊)で、トレードは自身の希望によるものだったと明かしている。

「私は『とにかくどんな形でもよいからホークスを出してほしい』と、球団側にお願いしました」

 背景にあったのは、球団に対する強い不信感。決定的だったのは、その春のオープン戦で右ヒザ前十字じん帯断裂、内側側副じん帯断裂、半月板損傷、脛骨・大腿骨挫傷の大ケガを負い、治療のために渡米した際の対応だった。

「この前の話はなかったことにしてほしい。(中略)規定通りの70万円は出すが、それ以外の費用は自分で払ってくれ』一瞬、耳を疑いました。(中略)つい先日、『何でもバックアップするから』と言った同じ人の口から出た言葉とは思えません」

 この発言に、小久保はチームに必要とされていないと思い、ホークスに対する気持ちが離れていくのを感じたという。さらにダメ押しとなったのが、知人を介して耳に入ってきた球団フロントの心ない言葉だった。

「『今年は小久保がいなかったから優勝したんです。彼がいるとほかのメンバーが萎縮して力を出せないんです』ここまで言われて、翌年ホークスのために全身全霊をかけてプレーする気持ちがなくなりました」

 翌04年からは巨人のユニフォームを着て、06年にはキャプテンも務めた。だが、小久保はやはり「ホークスの小久保」だった。そのオフ、FA権を行使して、親会社がソフトバンクに代わり、フロント陣も一新されていた“古巣”に復帰。主将として10年には7年ぶりのリーグ優勝に貢献すると、翌11年は史上最年長の40歳1カ月で日本シリーズMVPに輝くなど、日本一奪回の原動力になった。

 そして12年には通算2000安打を達成し、“ミスターホークス”として引退。

「つくづく福岡にある球団を選んでよかった」

 紆余曲折はあったが、それは幸せな野球人生だった。

写真=BBM
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