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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説05】あまりの速さにマウンドが近すぎるとクレームがついた金田正一の速球

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

ノーコンだが、とてつもなく速い


1年目からプレーも、心も新人離れしていた金田


 1950年途中、享栄商高を中退して国鉄入りした“怪童子”金田正一。甲子園出場はなかったが、快速球左腕のウワサを名古屋・八事球場のグラウンドキーパーから聞いた西垣徳雄監督が直接勧誘した。

 17歳で挑んだルーキーイヤーは、8月末のデビューながら8勝(12敗)。ただ、球はとてつもなく速かったが、とてつもないノーコン。「三振か、四球か」を地で行き、自滅する試合も多かった。本格開花は22勝を挙げた2年目からだ。この年、初の最多奪三振、最多与四球にもなっている。

 1年目には、こんな伝説がある。阪神と対戦した地方球場で、バッターの金田正泰があまりの速さに「こんなに球が速く見えるはずがない。マウンドからホームまでが近すぎるんやないか。地方球場だからデタラメするな」とクレーム。メジャーを持ってこさせ、審判と一緒に距離を測った。だが、距離はピッタリ。正泰は真っ赤な顔で引き揚げ、正一はニヤニヤしていた。

 なお、この試合ではないが、金田は自分の球をヒットにしたミスター・タイガース、藤村富美男に「おっさん、よう打ったな」と声をかけ、あ然とさせている。プレーも、心も、新人離れしていた。

●金田正一(かねだ・まさいち)
1933年8月1日生まれ。愛知県出身。享栄商を中退して50年途中に国鉄入団。翌51年にはノーヒットノーランを含む22勝を挙げた。以降14年連続20勝以上。57年には完全試合を達成し、58年まで2年連続最多勝、最優秀防御率に輝いている。65年に巨人へ移籍し、通算400勝、4490奪三振など、多くの日本記録を残して69年限りで現役引退。その後は2度にわたってロッテの監督を務めた。88年野球殿堂入り。主なタイトルは最優秀防御率3回、最多勝利3回、最多奪三振10回、沢村賞3回。通算成績944試合登板、400勝298敗、防御率2.34。
週刊ベースボール編集部

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