ユニフォーム披露の瞬間、大きな拍手が起こった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は2月12日だ。
2月10日、ジャイアンツ−ホークスのOB戦の集合写真で1人、グラウンドコートを着ていたのが、
長嶋茂雄終身名誉監督だった。おそらくだが、長嶋氏は自身が試合に出られるならコートを脱いでいたはずだ。栄光の背番号3、誰よりもこだわり続けたのが、長嶋茂雄氏自身だったから……。
長嶋監督2期目、同じ宮崎での2000年
巨人春季キャンプを思い出す。この年、長嶋監督は
広島からFAで加入した
江藤智に背番号「33」を譲り、自らの永久欠番「3」を着けた。キャンプ初日からのマスコミの注目は、いつグラウンドコートを脱ぎ、背番号3を披露するか、だった。
2月12日、ついにその瞬間がやってきた。
午後1時30分過ぎ、宮崎市営A球場に報道陣とファンが続々集まる。特に公式発表はなかったが、みんな、これから何が起きるか分かっていた。
2時15分、
原辰徳、
篠塚和典らコーチ陣と江藤が姿を現し、15分後、監督専用の白い車から長嶋監督が降り立ち、一斉にシャッター音が響き渡る。
そして5分後、長嶋監督がバッティンググラブを手にし、一気にグラウンドコートを脱ぎ捨てる。伝説の引退式から9252日、あの栄光の背番号3が久々に陽光を浴びた。一斉に拍手が沸き起こる。
驚きはその後にやってきた。単なるセレモニーかと思ったノックの打球が鋭いのだ。
「どうした江藤、俺は死んだ球は打たんぞ!」
64歳の誕生日を目前にしていた長嶋監督がほえる。1球1球、ゲキを飛ばし、三塁線の際どいコースに打球を打ち込み、江藤が泥だらけになる。
過去、移籍組の
落合博満、
清原和博にもノックの洗礼を浴びせた長嶋監督。「ノックは最高のコミュニケーションになるんですよ」と言っていたが、確かに41分、223本のノックに1本足りとも無駄球はなかった。
「本当は初日で脱ごうと思ったんですが、いつの間にか脱ぎづらい雰囲気になって(笑)。ただ、私自身は3というものにそんな意識はありません。3から90、33、3と再び新人時代のバックナンバーに戻っただけですから」
ウソに決まっている。5日間にわたり、エアドームでノックの練習をしてきた。見られることで輝くスーパースターの中のスーパースター。巨人の背番号3は、間違いなく、長嶋監督の勝負服だ。
写真=BBM