現役時代、レギュラーの座を争った篠塚(左)、原
プロ野球のシーズン開幕まで、いよいよ1カ月を切った。3月2日発売の『ベースボールマガジン』4月号では「シーズン開幕展望号 輝け!新戦力」が特集されている。
ルーキー、新外国人、移籍組の新戦力をクローズアップ。ニューカマーの存在というのはチームに波紋を巻き起こす。というのも、新戦力を迎え入れる選手の立場からすると、それまで安泰だった自身のポジションが脅かされかねないからだ。
実際に、ポジション争いが過去には幾度となく繰り広げられた。オールドファンにとって語り草になっているのは1981年の
巨人だろう。
この年、
原辰徳がドラフト1位で入団。
藤田元司・新監督が4球団競合の末にクジで引き当てた。原は巨人に入ると信じて疑わなかった。その運命に導かれた。巨人と原はまさに「相思相愛」の関係にあった。
ところが、入団後にポジションを巡る壁にぶち当たる。原が高校、大学時代に慣れ親しんだサードには、
長嶋茂雄の後継者として目されていた
中畑清がレギュラーとして君臨していたからだ。
1年目のキャンプに原はセカンドへとコンバート。セカンドには前年レギュラーになったばかりの
篠塚利夫(現・和典)がいたが、押し出される格好になった。開幕戦では中畑が三番・サード、原は六番・セカンドで起用。篠塚はベンチを温めざるを得なかった。このとき篠塚は前監督の長嶋氏から「必ず出番は来るから腐るな」と言われたという。
この配置は当時の巨人ファンには、どうにも割り切れぬものがあった。サード・原が見たい。好漢・篠塚の卓越したセカンド守備も見たい。だからといって中畑が退くのも受け入れがたい。
そんな奥歯にモノがはさまったような状態に変化が生じたのが5月4日の
阪神戦(後楽園)だった。中畑が二塁盗塁の際のスライディングで左肩を脱臼。途中交代となり、緊急措置として、中畑の代わりに篠塚が入ってセカンド、セカンドの原がサードに回った。その瞬間、耳をつんざく大歓声が球場には沸き起こった。中畑はこれを聞いて「もう二度とサードには戻れない」と覚悟したという。
満を持して先発出場になった篠塚が逆に「セカンドは渡さない」と打ちまくり、原はファン待望のサードで躍動。では、中畑一人が悲劇の主人公になったかと言えば、そんなことはない。復帰後に、一塁へとコンバート。ショートの
河埜和正を含めて夢のダイヤモンドが出来上がった。
ポジションを巡って激しい争いが繰り広げられたが、結果的には丸く収まった。誰も傷つかなかった。もちろん中畑が現実をすんなり受け入れられたかと言ったら嘘になるかもしれないが、チーム事情が個人の気持ちよりも優先されるのがプロの世界だ。それぞれがプロとしての役割を果たした結果、この年の巨人はV9を達成した73年以来8年ぶりの日本一を成し遂げた。
レギュラー争うというのは、きれいごとでは済まされない。時には競合相手に対して「あいつさえいなければ」と思ったとしても、罪はない。だが、原も中畑も篠塚も最終的には互いに認め合った。さる2月に行われた巨人vs南海のOB戦で81年にレギュラーを争った3 人の笑顔がそれを物語る。
そして迎える2018年シーズン。
清宮幸太郎をはじめ、ルーキーの存在がチームに波紋を起こすのは、あれから37年だった今も変わらない。だが、ニューカマーもこれを受け入れる側が“並び立つ関係”を構築できるかどうかが優勝の行方を左右する。81年の読売ジャイアンツがそのことを教えてくれる。
ベースボールマガジン4月号
文=佐藤正行(ベースボールマガジン編集長) 写真=BBM