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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説71】スポーツ紙に謝罪記事が載った男【助っ人トンデモ話】

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

リー[1977−87ロッテ/外野手]



 1977年、ロッテに入団したリーは開幕2試合目から14試合連続安打、5月8日からは11試合連続打点を記録。5月終了時点で20本塁打、打点は51をマークし、あるスポーツ紙に「リーさん、ごめんなさい。ひたすら不明を恥じるだけ」と異例の謝罪記事が載った。

 とにかく、キャンプでの評価は最悪だった。「史上最低の助っ人」「大砲なんてとんでもない。壊れたピストルだ」などなど。仕方あるまい。来日時はバットを持たず、大きなラジコンの模型を抱えてやってきた。打撃練習ではボテボテのゴロやフライばかり。本人の中では「なぜキャンプの打撃練習で必死に打たなければならないんだ」の思いもあったが、多くを語らないタイプだったから、新聞記者も面白おかしく書いてしまったのだろう。

 メジャー時代から、その打撃センスは高く評価されていたが、なかなかスタメンに定着できず、移籍が多かった。ウワサではフロントに思ったことをズバズバ言う性格が煙たがられたらしい。それが日本では「審判に文句を言う時間があったら、その分、自分の技術を磨いたほうがいい」と“悟り”を開く。

 モンスターの異名には「私はモンスターとは呼ばれたくない。ナイスガイと呼ばれたい」と真顔でクビを振っていた。

 後半、やや失速も本塁打王&打点王。以後、リーは弟レオン(翌78年入団)との兄弟で人気となり、80年には首位打者に輝いている。ただ、ガツガツとタイトルを狙うようなことは一度もなかった。それもまた、リー流の処世術だったのだろうか。

写真=BBM
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