今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 前大毎・西本幸雄監督の手記『優勝監督は首になった』
今回は『1961年2月1日号』。定価は30円だ。巻頭グラビアは、伊豆の温泉で右肩の治療をする巨人・
藤田元司。このころはリハビリの記事ばかりで登場する。
本文巻頭は『ゴネて契約した選手のうちわばなし』。まず登場は大毎・
山内和弘だ。すでに球団と3回交渉もまだサインをしていない。ゴネた理由は2つある。
1つには、いままで交渉の席にいた毎日新聞社系の役員が、経営から手を引いたことでいなくなったこと。山内は毎日からの生え抜きでもある。もう1つは、以前あった十年目のボーナスの撤廃された分を何とかできないか、という申し出をしていたからだ。さらにいえば、「新人の契約金が2000万、3000万と高値を呼んでいるでしょ。ぼくなど、毎日オリオンズと契約したとき、契約金はいくらだったかな。ゼロに等しい」(山内)という不満があった。
新人の契約金への怒りは、同じくゴネ組の西鉄・
高倉照幸にもあった。
「たとえ入団したときが違っても、同じ時代に生きるものに違いはない。一方に大金がつまれ、他方には知らぬ顔という不均衡が平然とまかり通っていいものですかね」
『12球団週間報告』の
中日ページは背番号話だった。まず目立ったのは、日本のプロ野球監督では、おそらく初めて「1」を着ける
濃人渉新監督。金鯱での現役時代に「1」を着けて以来のジンクスで、ノンプロ日鉄二瀬でも「1」だった。昨年中日に入った際は「61」と妥協したが、監督となったこともあり、「1」に。ほか
板東英二が天知俊一元監督からもらった「30」を返上し「14」に。
「天知さんの好意を無にするようで申し訳ないのだが、30番は気が重くて。その代わりといってはおかしいが、大投手の
沢村栄治投手にあやかって14にしました」と板東。
さらに大型新人・
権藤博は、大毎に
杉下茂監督が移籍(現役として)したことで空いた「20」に。仮に杉下監督の移籍がなければ、権藤の「20」はなくなるか、数年長引き、竜のエースナンバー伝説もまた違ったものになったかもしれない。
『優勝監督は首になった』では、前大毎・
西本幸雄監督の手記。確執があった永田雅一オーナーに対しては、次のように記している。
「10月13日の夜(第2戦)、会長から電話があり、お互いはげしい言葉の応酬があったことは事実である。しかし時が経つにつれていま静かに考えてみると、経営者が勝たせようとするチーム愛に燃えての言葉であったかもしれないし、一使用人である私が、使用人にあるまじき言葉で応対したのは、自分の愚かさであったと後悔している」
西本さん、使用人じゃないですよ、監督は。
以下、宣伝。
週べ60年記念シリーズ『巨人編』が好調発売中。次回、
日本ハム編も佳境です。今回は巨人編に比べ、ややくだけた企画もあります。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM