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センバツ名勝負伝説

【センバツ名勝負伝説10】老いた武蔵、若き小次郎に屈す

 

いよいよ始まった「第90回記念選抜高校野球大会」。週べONLINEでは歴代の名勝負をピックアップし、1日1試合ずつ紹介していく。

「わしのコンピュータまで故障した」


0対0の13回から一気に試合が動いた


1982年4月1日 2回戦
箕島(和歌山)4−3明徳(高知)

 ともに「黒潮打線」と呼ばれ、強力打線を看板にした箕島(和歌山)と明徳(高知)が2回戦で対戦。試合前、明徳の松田昇監督は「打撃戦になるでしょう。5、6点の争いかな」と記者たちに話していた。

 ところがフタを開けてみると、延長12回まで互いにゼロ行進。ようやく試合が動いたのが13回だった。表の明徳の攻撃は、先頭・梶原利貴の二塁打をきっかけにバント、スクイズ、三塁打で2点を先制。しかし、その裏、箕島も二死二、三塁から2点適時打で追いついた。

 続く14回表、明徳は2四球から無死満塁。一死後、センター前ヒットで1人はかえるが、2人目はホームで刺され、1点どまり。結果的には、この届かなかった1点が大きかった。

 その裏、箕島は一死満塁から2点タイムリーで劇的なサヨナラ勝ち。3年前の夏(箕島が星稜に延長18回サヨナラ勝ち)の再現とも言われた。

 松田監督はこう振り返った。

「これで勝ったと思ってほっとすると、追いつかれる。まあ、力尽きたということですかな。あの粘り強さに、わしのコンピュータまで故障してしまいました。老いた武蔵が若い小次郎にしてやられてしもうた。時代は変わりましたのお」

 夏、また来ますよ、と笑顔で去った松田監督。小次郎にたとえられた箕島・尾藤公監督は「松田監督のものすごい気迫を感じました」と、のちに振り返っている。

 その秋、松田監督は四国大会を前にした練習中、グラウンドで倒れ、世を去った。

写真=BBM
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