今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『ホームラン王監督登場までの真相』
今回は『1961年11月20日号』。定価は30円だ。表紙は巨人・川上哲治監督。いわゆるやらせポーズではなく、しかも試合のライブ写真の表紙は珍しい。
何かと激しかった日本シリーズは、第6戦巨人の勝利で終わった。この号では銀座でのパレードや、早くも北陸で
阪神と行った秋のオープン戦の模様などが掲載されている。
第4戦、南海・
スタンカの1球に対する円城寺審判の件はまだバタバタしているが、『審判面接』という企画で、竹中顕が円城寺家を訪れ、取材している。
「あんなさわぎを起こしたということについては、率直に申し訳ないとみなさんにお詫びします。しかし、一生懸命見て、正しいと思ったことをやったのです。当事者ですから弁解がましいことは遠慮したい」
自宅には苦情、いやがらせの電話もたくさんかかってきたようだが、居留守はせず、すべて出ているという。「どのような批判にも逃げも隠れもしません」とは言うが、「いくらリベートをもらったかというのはひどい」とも話していた。
53歳、子どもはおらず、奥さんと2人暮らし。酒も飲めず、楽しみは愛犬ポコとの散歩だという。非常にまじめな人だったようだ。
『ホームラン王監督登場までの真相』では、28歳、西鉄・
中西太が選手兼任監督になった経緯が書かれている。
同じく兼任助監督となった
豊田泰光、兼任コーチの
稲尾和久と3人で並んでの就任発表会見だった
そこで中西は記者たちに「監督なんて呼ばれたら、こっちが堅苦しくなるじゃないか。いままでどおりフトシと呼んでくれよ」と言い、豊田は「オレの口が悪いのには定評がある。別に助監督になったってあらためようとは思ってない。少しぐらい少なくする程度だ」と言って笑わせていた。
豊田は3人で握手し、写真撮影をしていた際も毒舌。
「もういいだろ。あんまりフトシちゃんの手を握っていると、こっちの手が汚れるからな」
もちろん、冗談ではあるのだろうし、報道陣がどっと笑ったとあるが、苦笑している中西の心中はいかに、と思ってしまう。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM