今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 新人研修制度導入決定
今回は『1962年6月18日号』。定価は40円だ。開幕から2カ月だが、1958年の入団以来、常に球界の中心であった
巨人・
長嶋茂雄の打率が2割7分前後とぱっとしない。
「このままでは、おそらくプロ野球生活で最低のシーズンになってしまう。そんなことは絶対にしない。シーズンはまだ3分の1が終わったばかりじゃないか。プロは1年1年が勝負だ。僕には来年という年はないんだよ」
悲壮な覚悟で巻き返しを期していた。
6月2日には、大毎の本拠地東京スタジアムがついに開場。試合前にはパの6球団が一堂に介しての行進があったというからすごい。しかも、こけら落としの南海3連戦に3連勝。永田雅一オーナーもご機嫌だ。
「私にもそろそろツキが回ってきてもいいころだと思っていた。人を助けたと思ったのに牢屋に放り込まれたり、私の子分だと思っていた会社の連中にストライキをされたり、本当についてなかった。前世によほど悪いことをしてきたのじゃないかと思ったよ(ストは映画会社大映社長として。牢屋は戦時中、社会主義に傾倒していたころの話だろうか)。
それがこうやって無事3連戦が終了し、3連勝する。ほんとに、私にもツキが回ってきたと思っとるよ。
大毎オリオンズもいろいろな方面からいろいろ言われてきた。しかし、こうやって新球場も作ってやった。もう後は選手が力いっぱいのプレーに励めばいい。私はこれからゆっくり野球を楽しむよ。このツキを逃さないように、私も力いっぱい努力しながらね」
グラビアページにあった開場式の永田の表情は感無量に見えた。
5月31日の実行委員会で、翌年からの新人研修制度の導入が決まった。これは1年目、未成年はチームの100試合、成年は50試合までを研修期間とし、一軍公式戦には出場させないというものだった。翌年実際に行われている。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM