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球界デキゴトロジー/8月4、5日

大洋─中日、2日がかりのロングゲーム(1990年8月4、5日)

 

壮絶な試合を物語るスコアボード。ビジョンにはインタビューを受ける大洋・パチョレック



 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月4、5日だ。

 試合途中には3万人いた観衆が、試合終了時には数千人、いや最後は数百人にも見えた。ゲームセットの瞬間、カネや太鼓の鳴り物を控えて声と拍手だけが響いていた横浜スタジアムには、歓声とため息が充満した。

 8月4日、午後6時20分に始まった大洋─中日戦は、午前零時11分にゲームセット。史上2度目の日付が変わる一戦となった。延長15回、5時間51分は、当時の日本最長記録である。
 
 未知の試合への案内人となったのは、落合博満だ。
 大洋・斉藤明夫、中日・今中慎二の先発で始まった試合は、大洋がパチョレックの3ラン、2ランで5対2とリードしていたが、8回表、落合が斉藤から25号3ランで5対5と追いつき、そのまま延長戦に突入した。

「ふだんは試合を見に来てくださいと、必死にお願いして歩いているのに」と関係者がうなった午後10時半、場内には「神奈川県青少年保護育成条例により18歳未満の方は、午後11時までにお宅に到着するようお帰りください」とウグイス嬢の声が響いた。

 ヒーローを映し出すはずのスクリーンにもJRや地下鉄の最終時刻が映し出され、帰宅をうながす。延長戦に入ってからも両軍ピンチとチャンスが交互にやってくる白熱した展開となったが、客席は徐々にまばらとなっていた。

 15回裏、大洋は一死一、二塁から代打・田代富雄が1500試合を飾るライト前ヒットで満塁となり、最後はパチョレックの一打でサヨナラ勝ち。
「もう、あそこはフライを打つことしか考えてなかったよ」
 律儀にもヒーローインタビューに立った全打点のパチョレックの声が響いたとき、横浜市内を走る地下鉄は出た後、JRも上り東京行きはすでになかった。

「やっている身になってみろと言いたいね」と、この年から採用された「延長15回制」に苦言を呈したのは、勝った大洋・須藤豊監督。

 負けた中日・星野仙一監督は「鹿島(忠)がよく投げた。勝たせてやらにゃいかん試合だった」。
 鹿島は二番手として8回から登板し、13回まで6イニングを無失点に抑えた。11、12回はいずれも故意四球で連続満塁策としながら、108球の力投だった。

写真=BBM


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