今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人、国鉄の内紛
今回は『1964年11月23日号』。定価は50円だ。
前回書いた巨人・
広岡達朗の移籍騒動。大元には、巨人・
川上哲治監督と広岡の確執があったようだが、2人の関係はさらに悪化していた。
川上は記者の前で広岡について、
「10年もたって打撃に進歩がみられないということは、何をしていたかということですよ。プロ野球選手として何かが欠けているということです。もうどうにもならんですね。
新しいコーチが若いから広岡が平選手でいることは何かと都合が悪いでしょう」
と言い放った。
ただ、人気選手だけに、残留を求め、球団に投書する広岡ファンも多かったらしく、球団もなかなか判断しきれなかったようだ。
オープン戦で打撃好調の巨人・
長嶋茂雄は、試合前にバットを3本折った。
「俺はバットを折らないことと、死球を受けないことでは定評があるんだ」と自ら語る長嶋らしからぬことだが、長嶋らしいのが次の言葉だ。
「誰のバットか分からないんだけどね」
どうやら、複数の選手のバットが入っているバットケースの中から適当に引っこ抜いて使っていたようだ。
「折れたバットの持ち主がいたら、長嶋の名前でバットを注文してくれと言ったんだが、だれも言わんのですよ」
と長嶋。実は川上も現役時代、調子が悪いと他人のバットを使い、折れると「俺の名前で(バットメーカーに)伝票出しておけ」と言ったことがあったらしい。
似ているような似てないような、か。
なお何かと話題の結婚問題については、
「結婚しようという気持ちになった」ときっぱり言い切っていた。
国鉄も混乱していた。9月下旬には
林義一監督の解任、
飯田徳治二軍監督の一軍監督就任が既定路線のように言われたが、いまだ正式発表がなく、林監督留任のウワサまで出ていた。
林監督はチームの5位低迷に加え、選手からの人望がまったくなかった。ただ、それでも決まらないのは、球団内の国鉄勢力とスポンサーであるサン
ケイグループの不協和音があったからだ。
国鉄とサンケイとの契約は62年夏から始まり、サンケイは年間1億円の強化費を球団に提供。事実上、それがなければ球団経営は立ち行かないとも言われていた。
林監督はサンケイ側が推薦し、就任した人物であり、それを国鉄主導で解任、さらに新監督・飯田と決めたことへの不快感があったようだ。
球団の北原代表は「サンケイと手を切っても飯田に懸けよう」と腹を括ったようだが、果たしてどうなるか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM