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週刊ベースボール60周年記念企画

マッシ―村上問題が解決?/週べ1965年1月25日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

中日・加藤投手事故死


表紙は阪神村山実



 今回は『1965年1月25日号』。定価は50円だ。

 南海・村上雅則の所属を巡るSFジャイアンツの大騒動の最中、南海・鶴岡一人監督は、恒例のエールフランスの招待により、巨人王貞治、南海・広瀬叔功、阪神・吉田義男とともに欧州旅行をしていた。
 12月30日、帰国の第一声が「村上のことは、どないなってるんや」だった。旅先で断片的にしか入らぬ情報にかなり苛立っていたらしい。
 すぐ球団に情報の確認。親友であり、今回の村上らの留学をつないでくれたキャピー原田(原田恒男)が黒幕のように言われていると聞くと、
「ワシのあいつの仲や。あんまり勝手なことをするわけない」
 と1月4日には直接会談した。
 会談後、ウワサの1万ドルについては、「トレードマネーではなく、あくまで球団への礼金のようなものだと確認できた」と鶴岡。ただ、「来年の契約については、村上が結んでしまったというんで、これはもう仕方がない。村上は大リーグ・ジャイアンツの選手や」ときっぱり。
 しかし、村上が交わした契約書にはさらに一方的にいろいろなことが書かれていたらしく、「もっとうちの条件も入れたものにし、できれば、すぐ村上を返してもらえるよう頼み、ダメでも来年が終わったらなんとか返してもらえるようにしないと」とも語り、自ら渡米し、SFジャイアンツと交渉すると語った。

 中日に衝撃が走った。
 1月3日の深夜、都内の西沢道夫監督の自宅に電話があった。プロ2年目を終えたばかりだった加藤斌が地元栃木で交通事故を起こし、生死の境にあるという。すぐさまタクシーで搬送先の病院に向かったが、1時間ほどした後に西沢監督が到着すると、すでに命はなかった。
 この日、加藤は実家から作新学院高時代の同窓会に参加するため自家用車で店に向かった。事故は二次会に向こう途中だったという。
 春夏甲子園制覇を果たした作新学院高で八木沢荘六とともに投手として活躍(第2投手だったが、夏は八木沢の体調不良でエースに)。中日では1年は4試合のみの登板も、2年目の64年は31試合に投げ、65年の飛躍が大いに期待されていた。

 巨人にプロ野球初のランニングコーチ、鈴木章介が誕生した。鈴木は陸上十種競技の選手で、若手のスピードアップと基礎体力充実のため招かれた。
 広岡騒動でのバッシングもあって、川上哲治監督はチーム再建に向け、大胆な手を次々打ち始めていた。

 では、またあした。

<次回に続く>
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