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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

野球選手の『説』を自らの力で覆した楽天・田中和基

 

努力で積み上げた野球技術


立大時代の楽天・田中。自らのセールスポイントを前面に押し出し、プロ入りへつなげた


 野球選手の人生は、中学生の低学年までに決まるという『説』を聞いたことがある。野球エリートが名門高校に進学して、甲子園で実績を残して、プロ入りするという青写真。だが、あくまで一般論に過ぎないと思う。

 2019年が明け、勝負の3年目シーズンを迎えるのが楽天・田中和基だ。入団2年目の18年に新人王を獲得。今季は相手のマークが厳しくなる中で真価が問われ、俗に言う『ジンクス』と向き合う。しかし、これまで歩んできた「野球人生」からすれば、こうした壁とは無縁と言えるだろう。田中には卓越した身体能力に加えて、頭脳があるからだ。

 田中は「野球エリート」とはあまりに、対照的な道を歩んできた。高校生までは学業が軸。中学1年時には硬式の福岡ウイングス(フレッシュリーグ)に入団も、同夏には勉強に専念するため退部。高取中の軟式野球部を経て、福岡有数の私学の進学校・西南学院高では、理系クラスに在籍した。指定校推薦での立大進学を目指すため、3年時に文系コースへシフトチェンジ。評定平均5点満点で4.1と成績優秀だった田中は、照準を定めていた立大法学部へ入学した。初めて、本気で野球に取り組む環境に身を置いたのだ。ちなみに「三番・捕手」だった3年夏は福岡県大会3回戦で福岡大大濠高に敗退。全国はおろか、九州地区でも目立つ存在ではなかった。

 抜群の運動能力は天性ではなく、野球技術も努力で積み上げた。幼少のころに活躍していた松坂大輔(現中日)が剣道を取り組んだことがきっかけで強肩になった事実を知ると、小学1年時からは6年間、道場に通った。また、生まれつきは右利きも、俊足を生かすために小学校時代から左打ちに挑戦。高校ではスイッチヒッターとして左で8本、右で10本のアーチを放っている。立大では右投手との対戦が多いと、左一本に専念。四軍扱いのDチームからの下積み生活を経て、一つひとつステップアップし、2年夏に一軍のAチームに昇格。同秋にレギュラーの座をつかんでいる。つまり、練習量で這い上がってきた、たたき上げだ。

 3年秋に4本塁打。左右に打ち分けるパンチ力で飛躍を遂げるも、まだ、騒がれる存在ではなかった。しかし、立大・溝口智成監督は神宮のネット裏記者席で当時、こう語っていた。「走らせても(50メートル走5.89秒)、投げても(遠投125メートル)、飛距離(背筋270キロ)でもチームトップクラス。最終学年は両打ちで勝負させようと思っていますが、面白いです」と、田中の可能性を予言していたのだ。田中本人もプロを目指すため、自らの考えもあって両打ちに再挑戦。単純にスイング量は人の2倍である。4年春には「右1号」を記録し、左でも1本塁打と進化を証明したのだ。左右の打席で長打、さらにスピードという武器を得た田中は、プロ入りへの道を切り開いたのだ。

プロ2年目に新人王を獲得


 楽天での1年目は59打席でシーズンを終えた。新人王の資格(60打席)を残した2年目にレギュラーを獲得し、野球人生で一度の栄冠・新人王を手にしている。自らのセールスポイントを前面に押し出し、昨年8月1日のオリックス戦(京セラドーム)では左右両打席アーチを放ったのだから、驚きであった。

 田中には、コツコツと積み上げてきた財産がある。積み上げる我慢も、できる。仮に困難に直面しても、乗り越えるだけの引き出しがある。大学時代の写真を見ると、体の線が細い印象があったが、楽天での2年間で見違えるほど強じんな体になった。真摯に取り組む人間性。チームは、将来のチームリーダーとしての期待も大きいという。

 冒頭に紹介した『説』を自らの力で覆してきた田中。野球人口が減少している現状で、多くの子どもたちに勇気を与え、2019年も新たな「カー君伝説」を書き記してほしいと願う。

文=岡本朋祐 写真=井出秀人
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