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南海・鶴岡一人監督、突然の退団表明/週べ1965年11月22日増大号

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

新人・土井正三のサヨナラ打で巨人日本一


表紙は巨人王貞治



 今回は『1965年11月22日増大号』。定価は60円だ。
 1965年、巨人─南海の日本シリーズは、第5戦を新人・土井正三のサヨナラ打で制した巨人が覇者となった(MVPは長嶋茂雄)。

 土井は第1戦スタメンから外れ、第2戦はショートのスタメンに入るもタイムリーエラーで、ふたたび第3戦はベンチスタートとなった。

 それでも川上哲治監督が第3戦の7回裏に代打で起用し、2点適時打。4、5戦はセカンドのスタメンに入った。

 土井は、「一死だったんで杉浦(忠)さん、野村(克也)さんも狙ってくるのはゲッツー。必ず低目に来ると思って的を絞っていました」と声を弾ませた。

 ただし、この号でページが多く割かれていたのは敗者の南海。
 11月6日、南海監督・鶴岡一人監督が大阪難波の料亭「新常盤」で記者会見を開き、退団を発表したのだ。

「今年20年目で区切りもいい。後進に道を譲るつもりだ。今後は、何らかの形で球界に残るよ」
 と語った鶴岡監督の「今後」についてスポーツ紙は、3紙がサンケイ監督、2紙が東京監督だった。

 東京は永田雅一オーナーが数年前から動き、鶴岡自身も一度は「南海を出るときがあれば永田さんにお世話になります」と話したが、水面下で猛烈に動いていたのが、セ・リーグのサンケイだったらしい。南海と戦うことに抵抗があった鶴岡も揺れていたようだ。
 
 南海後任監督は蔭山和夫ヘッドコーチとの声がもっぱらだったが、蔭山本人は言葉を濁していた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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