昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 川上哲治はOB会を座禅で欠席
今回は『1965年12月20日号』。定価は50円だ。
ふたたび契約更改の季節がやってきた。この企画では8回目となる。
三冠王となった野村克也にシブチン南海がいくら払うかなどが話題となっていたが、ちょっと変わった事件もあった。
主人公は、この年、10勝を挙げた東映の
永易将之である。のち球界を激震させた黒い霧事件の中心にもいた男だが、このときは事件というのは少し大げさな話だった。
この年、永易に提示された年俸は大幅アップの270万円。これ自体には納得だったのだが、世間話の中で永易が「もとが低いとなかなか上がりませんね」と言ったとき、球団代表が「いやいや、君は契約金で800万も払ってるじゃないか」と言って、実際に入団時の契約書を見せた。
それを見て永易の顔色が変わる。
「僕は400万しかもらってません。いったい残りの400万はどこに消えたんですか」
その後、永易は「これがはっきりするまでサインをしません」と言って、その後、記者たちにも経緯を説明し、翌日の新聞に「謎の400万円」と見出しが出る騒ぎになった。
しかしながら、その新聞が輪転機で印刷されていたころ、すでに謎は解決していた。
400万円は永易の父親が預かっていたのだ。それを入団前にお世話になっていた方たちの謝礼にしたというが、大学卒初任給が2万円程度だった時代、謝礼にしては少々高いか。
日本一となった
巨人の
王貞治が12月4日から1週間の予定で祖国ともいえる台湾へ。すさまじい歓迎を受けていた。同行した新聞記者は「お嫁さん探しでは」と王に質問したが、
「まさか、1週間じゃ無理ですよ」
と笑っていた。
翌5日には、熱海のホテルで巨人のOB会。芸者を呼んでの楽しいはずの会だったが、何やら不穏な空気もあった。
実は、ホスト役になってもおかしくない
川上哲治監督が岐阜で参禅のため欠席したのだ。毒舌家として知られる
浜崎真二が「せっかく大監督になったとほめようと思ったのに、OB会が怖かったのかな」と皮肉っていた。
また、プロ野球では閑古鳥が鳴くことが増えていた東京球場でスケート場がオープン。なかなか盛況だったようだ。
屋外だから東京の冬はいまより寒かったのだろう。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM