昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 スケートをしながら自主トレ見学
今回は『1966年2月7日号』。定価は50円だ。
2019年はZOZOマリンでホームランラグーンができ、ホームランの量産が期待されるが、66年から西鉄の本拠地・平和台球場も左中間、右中間を3メートル50センチほど前に出し、ふくらみをなくすという。
これはZOZOマリン同様、ホームラン量産、特にチームでは唯一の全国区人気選手・
中西太兼任監督のホームランを期待してだったようだ。
ただ、中西は故障に苦しみ、65年は34試合出場のみの出場で、打率は.294ながらホームランは2本。
周囲からは「監督、今度はホームラン王や」と冷やかされたが、当の中西は、
「いつまでも俺のホームランを追いかけていたら、だんだんグラウンドが狭くなるぞ」
と大笑いしていた。
第1回ドラフト会議の指名選手の動向がほぼ固まった。1位選手では難航していた西鉄の浜村孝、東京の
木樽正明、東映の
森安敏明が入団決定。
結局1位指名の拒否はサン
ケイが1位指名した広陵高の河本和昭だけとなった。河本は亜大に進学。「
阪神ファンなので、阪神に指名されたら分からなかった」と話している。
ちなみに、木樽の東京スタジアムでの自主トレは大盛況となった。銚子からわざわざ来たというファンもたくさんいたが、大部分は選手のランニング並みのスピードで移動しながら「おい、頑張れ。木樽!」と声をかけていた。
これ、実はスタンドを利用したアイススケート場のお客さん。連日5000人以上が利用しているらしい。
元南海の
スタンカは、故郷のオクラホマで雑貨屋を始めた。
長男を不慮の事故で亡くした心の痛手はいまだ癒えず、
「まだ野球をする気にならない。日本での生活は楽しいし、また行きたいとは思うのだが…」
と話していたようだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM