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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#52」2リーグ分立期から続く好打者の出世番号

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

「51」を追いかけて


ダイエー・川崎宗則


 古くから「50」や「51」の影響を受ける傾向がある「52」。別当薫監督が「50」を着けた毎日では「51」に苅田久徳、「52」に野口二郎と戦前からの名選手がコーチとして並び、大毎となって監督が「51」の濃人渉となると、大沢啓二が「52」の二軍監督となって、のちに一軍の指揮も執った。別当は大洋で「52」のコーチとなり、そのまま三原脩監督の後を受けて采配を振るっている。

 一方、「51」をトレードマークとしているのが、オリックスから世界へと飛躍したイチロー。そんなイチローにあこがれて、続く「52」をダイエーで着けたのが川崎宗則だ。「51」に続く「52」をオリックスで“公式”に着けたのが大島公一仰木彬監督の売り出し策で、「51」で一番を打つイチローに続く「52」の二番打者となった二塁手だ。

【12球団・主な歴代「52」】
巨人 加倉井実井上真二十川孝富隠善智也北村拓己

阪神 古里泰隆赤松真人遠山昭治(奨志)、バルディリス、ジョンソン☆(2019年〜)

中日 柳川福三田野倉利男(正樹)、ギャラード小田幸平加藤匠馬

オリックス 矢野清高橋智、大島公一、坂口智隆岡崎大輔

ソフトバンク 柚木進(二軍監督ほか)、竹口昭憲、井上祐二足利豊、川崎宗則

日本ハム 大内(田中)実、大貝恭史(宜史、康輔)、紺田敏正佐藤賢治宮台康平

ロッテ 野口二郎(コーチ)、大沢啓二(監督ほか)、立川隆史塀内久雄益田直也

DeNA 別当薫(監督ほか)、多村仁石川雄洋、多村仁志、細川成也

西武 ペイン、城戸則文小田真也栗山巧山田遥楓

広島 玉山昌憲、石橋文雄玉木朋孝玉山健太庄司隼人

ヤクルト 村田元一小川善治(監督代行ほか)、城戸則文、細見直樹中村悠平

楽天 カツノリ山本大明中島俊哉加藤正志森原康平
(☆は2019年)

「52」を巣立った好打者たち


西武・栗山巧


 オリックスの後継者にはヤクルトで現役を続ける坂口智隆がいるが、阪急時代にまでさかのぼると、1968年に阪急V2の立役者となった“10年目の新人”矢野清の下積み時代、阪急からオリックスにかけては “デカ”と呼ばれた高橋智もいた。

 高橋と大島の間で1年だけ着けたのが西本聖。巨人で沢村賞、中日で最多勝に輝いた右腕が故障に苦しみながらも投げ続けたプロ19年目の姿だ。投手では国鉄で金田正一に続く第2エースとして活躍した村田元一も1年目だけ着けていて、ともに「52」の系譜では少数派の投手だ。

 国鉄で村田の後継者となった城戸則文は、もともと西鉄で「52」を着けて頭角を現した好守好打の三塁手。ブレーク後に「9」となり、そのまま移籍後もプレーを続けたが、最後に若手時代の「52」を背負って現役を引退した。城戸の「52」は、のちに西武で栗山巧の出世番号となり、ヤクルトでは中村悠平が正捕手に成長して新たな印象を築きつつある。

 古くは近鉄の初代に小玉明利がいる。2年目の1954年に一軍デビュー、“ピストル打線”の中軸に定着して、翌55年からは「2」として低迷するチームを支え続けた巧打者だ。

 横浜時代に「52」で出場機会を増やし、DeNAとなった古巣への復帰で再び「52」となったのが多村仁(仁志)。その間にいるのが石川雄洋だ。のちに「7」となって、迎えた2019年も第一線で活躍を続ける。

写真=BBM

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