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背番号物語2019

【背番号物語2019】「#56」2人の“中島”が「56」からブレークへ

 

背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。

パ・リーグと「56」



 いぶし銀の内野手が背負い、そのほとんどが巣立っていった「56」。その筆頭格と言えるのが、21世紀のパ・リーグで遊撃を守った2人の“中島”だ。まずは2001年に内野経験ゼロで西武へ入団した中島裕之(宏之)。二軍で遊撃守備の猛特訓に励んでいたのが「56」時代で、12年限りで海を渡ってオリックスで復帰、迎えた19年からは巨人でプレーを続ける。

 続いて09年に日本ハムへ入団した中島卓也。「56」のラストイヤーとなった13年に二塁や三塁も守ってレギュラー定着、不動の遊撃手となった15年には盗塁王にも輝き、現在は「9」でチームを支える。

 パ・リーグへ移籍して成功するケースも投打に散見され、中日で「56」を着けていた田上秀則は戦力外通告を受けてソフトバンクでブレーク。古くは大洋で佐々木宏一郎が1年だけ着けて、のちに近鉄で完全試合を達成している。

 ロッテの系譜には大毎“ミサイル打線”の一番打者となった柳田利夫の若手時代、米軍キャンプ勤務から阪神へテスト入団して2チームで「56」を着けたソロムコら好打者が並ぶが、初代は松竹で正捕手として優勝に貢献した荒川昇治の現役最晩年。逆に、セ・リーグ移籍が引退につながったケースもあり、西武の伊原春樹は巨人で、近鉄の加藤哲郎広島を経てダイエーで、「56」で現役を終えた。

【12球団・主な歴代「56」】
巨人 村田真一村田善則杉山直樹(杉山直輝)、加藤健山本泰寛

阪神 ソロムコ、御子柴進藤本敦士松田遼馬飯田優也☆(2018年シーズン途中〜)

中日 中利夫金井正幸前原博之中村公治松井佑介

オリックス 秋本祐作野呂瀬義昭福留宏紀山本拓司武田健吾

ソフトバンク 小川史、加藤哲郎、柳瀬明宏星野大地田浦文丸

日本ハム 猿渡寛茂、渡辺浩(渡辺浩司)、中島卓也、市川友也藤岡貴裕☆(2018年シーズン途中〜)

ロッテ 荒川昇治、柳田利夫、ソロムコ、坂本文次郎(コーチ)、後藤利幸原嵩

DeNA 福島久、北安博大家友和小池正晃ウィーランド

西武 大和田明、鈴木五郎、中島裕之、鬼崎裕司金子一輝

広島 有田哲三高木宣宏中崎翔太辻空中神拓都☆(2019年〜)

ヤクルト 岡野久一中島節男、カーペンター、奥村展征鈴木裕太☆(2019年〜)

楽天 根市寛貴、戸部浩中川大志寺岡寛治鈴木翔天☆(2019年〜)
(☆は2019年)

クローザーに名乗りを上げた中崎


広島・中崎翔太


 メジャー移籍が奏功した異色の右腕が横浜の大家友和。「56」で芽が出ないまま海を渡って開花、その後も息の長い活躍を続けた。その系譜にいる福島久(のち久晃)ら下積み時代の捕手も多く、捕手の筆頭は巨人で80年代に着けていた村田真一。その後の巨人では長く捕手がリレーするナンバーとなった。

 広島で現役の中崎翔太は「56」でクローザーに名乗りを上げ、「21」となって黄金時代を支えている。逆に、一貫して着けた少数派が阪神で中継ぎのサイドスローとして活躍した“小林繁2世”御子柴進で、のちに藤本敦士の出世番号に。中日でも2代目の中利夫が1年目だけ着けてブレークしたが、その後は巨人の“ON”を演出した投手が並ぶ。

 外山博は唯一の一軍登板で王貞治に通算400号本塁打を献上。金井正幸は一軍初登板が長嶋茂雄の引退試合で、今も語り継がれる伝説の試合に先発して敗戦投手となっている。

写真=BBM
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