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【平成近鉄年代記】B砲の4連発に代打逆転サヨナラ満塁優勝決定弾、ドラマを生む球団

 

平成年代、初代のパの覇者。マジシャン・仰木彬監督の下、個性派たちが躍動。低迷期をもあったが、いてまえの血は変わらずたぎり続け、2001年にドでかい花火を上げ、04年に消えた。

「10.19」の悔しさが原動力


1989年リーグ優勝を決めた近鉄ナイン


 1989年、平成元年。この年の猛牛軍団の戦いは、死力を尽くして戦いながら、あとわずかで優勝を逃した前年の「10.19」の悔しさが原動力となった。終盤戦、西武オリックスとの激闘の中で、10月12日西武とのダブルヘッダー(西武)では、ブライアントの4打数連続ホームランもあって連勝。これで優勝を引き寄せ、14日、地元・藤井寺で決めた。胴上げ投手は阿波野秀幸だ。

 迎えた日本シリーズの相手は巨人。当初はレギュラーシーズンの勢いそのままの戦いで3連勝。一気に王手をかけ、球団初の日本一にも届いたかに思えた。しかし、試合後、勝利投手の加藤哲郎が「ロッテ(同年パの最下位)より弱い」と発言。そこから奮起した巨人に4タテを食らった。

 同年オフにはドラフトで8球団が1位で競合した野茂英雄の交渉権を勝ち取る。野茂は1年目の90年、先発投手のタイトルを総なめ。MVPにもなっているが、チームは宿敵・西武への負け越しが響き4位。91年は開幕から猛ダッシュをかけた西武を前半最後にとらえながら終盤の息切れで2位に。92年は序盤の大混戦から抜け出すも西武に抜かれ、2位。数々の“マジック”を見せた仰木彬監督は同年限りで退団した。

 かつての大エース、鈴木啓示を監督にし、新たなるスタートを見せた93年は出だしこそよかったが、あっという間に最下位へ転落し、最終的には4位。17勝の野茂以外に2ケタ勝利投手はいなかったが、抑えの赤堀元之、さらに石井浩郎、ブライアントが軸になった“いてまえ打線”は健在だった。

 94年は開幕の西武戦で好投の野茂をあえて代え、赤堀を投入するも伊東勤に逆転サヨナラ満塁弾を浴びる最悪のスタート。そのまま一気に低迷していったが、6月に入って調子を上げ、7月には13連勝もあって優勝争いにも顔を出した。最後は息切れでオリックスと同率2位に。そのオフ、鈴木監督との確執もあった野茂が契約でもめ、そのままメジャー挑戦のため退団。エース不在の95年は勝率.386で最下位。鈴木監督は途中休養した。

日本一には一度も届かぬままに


2001年、最下位からの劇的優勝。梨田昌孝監督が大阪ドームで舞う


 95年秋のドラフト会議では7球団が1位で競合した福留孝介の交渉権を佐々木恭介新監督が引き当てたが、野茂と違い、入団拒否。佐々木近鉄の1年目もパッとせず4位に終わった。大阪ドーム初年度だった97年は小池秀郎の最多勝やクラークの活躍もあって3位に入ったが、98年は5位に沈み、ローズが本塁打王、打点王の2冠となった98年は最下位。佐々木監督は退団し、梨田昌孝監督になった。

 就任1年目の2000年は最下位だったが、翌01年は打点王の中村紀洋、55本塁打でホームラン王のローズがひたすら打ちまくり、弱体投手陣をカバー。逆転、逆転を繰り返しながら首位を走り、9月26日、オリックス戦(大阪ドーム)では2対5で迎えた9回裏、代打・北川博敏の逆転サヨナラ満塁弾で優勝が決定。ただし、日本シリーズではヤクルトに敗れた。

 以後2位、3位、5位。04年限りで球団が事実上、消滅したため、創設以来、4度のリーグ優勝も、日本一には一度も届かぬまま、歴史に幕を閉じた。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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