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【平成DeNA年代記】大魔神とマシンガン打線で1998年歓喜のV、近年浮上の予感も

 

平成は横浜大洋ホエールズとしてスタートし、1993年からは横浜ベイスターズに。ただ、変わらず優勝からは縁遠かった。ハマの若者たちが大きく開花したのが、98年の日本一だ。その後、また低迷が続いていたが、DeNAとなってからは1年1年、確実に力をつけ、再び頂点を狙っている。

横浜大洋からのスタートして……


98年は西武を破って横浜で日本一を決めた


 平成は最悪のスタートを切る。1989年、投打とも振るわず、5位阪神にも6ゲーム差をつけられた最下位。再建を託された古葉竹識監督だったが、志半ばで退任となった。対巨人は5勝21敗。まさに「困ったときの横浜大洋銀行」だった。

 巨人の二軍監督だった須藤豊が新監督となった90年は、5月上旬に首位に。最終的には3位だったが、首位打者にパチョレック、2位に高木豊。3年目の左腕・野村弘樹が11勝と明るい兆しはあった。翌91年も前年の勢いのまま5月序盤には首位も5位に。守護神・遠藤一彦の不振で新ストッパーに指名した2年目の佐々木主浩は6勝17セーブと適性を発揮した。チーム打率はリーグ最高の.269も本塁打は最低の66だった。

 92年は前半最下位で、5月上旬は須藤監督が突然の休養宣言。しかし江尻亮新監督の下、若手が伸びた後半戦は“大洋旋風”を起こし、「後半戦最強のチーム」とも言われた。チームは5位ながら打点王にシーツ、最優秀防御率に盛田幸妃、最優秀救援投手に佐々木主浩。シーズン後、球団は地元ファンとともにあるべきと「横浜ベイスターズ」に名前が変わった。

 新生ベイスターズは近藤昭仁監督が指揮を執ったが、5位。ブラッグスの29試合連続安打、ローズが打点王と新助っ人が活躍した。翌94年も一度もAクラスに浮上することなく最下位。FAで駒田徳広が加入し、打線はまずまずだったが、投手陣が振るわず「54試合連続完投なし」の日本記録も作ってしまった。優勝の巨人に15勝11敗の勝ち越しがわずかな光明だった。95年は4位ながら16年ぶりの勝率5割超え。打線ではローズ、石井琢朗波留敏夫らがよく打ち、佐々木が2度目の最優秀救援投手に輝く。

 96年は大矢明彦が監督に就任し、好スタートを切る。4月は3勝の斎藤隆、20打点の佐伯貴弘が月間MVP。しかし、その後、急失速で5位に終わった。収穫は8年目にして正捕手の座をつかんだ谷繁元信の成長だ。翌97年は6月末、首位ヤクルトに14ゲーム差の5位だったが、そこから大躍進。41セーブポイントを挙げた大魔神・佐々木の活躍もあって8月は20勝6敗。一時は首位ヤクルトに2.5ゲーム差まで迫った。最終的には球団史上2位の72勝をマークし、18年ぶりの2位。鈴木尚典が首位打者となっている。

 大矢監督の退任で権藤博監督が就任。一番・石井琢、二番・波留、三番・鈴木尚、四番・ローズ、五番・駒田と続く打線は、マシンガン打線とも言われ、打ち出すと止まらなかった。投手陣では先発に物足りなさもあったが、佐々木を軸とするリリーフ陣は鉄壁。38年ぶりのリーグ優勝を飾ると、日本シリーズでも西武を下し、日本一。横浜の街は沸きに沸いた。

中畑監督でチームカラー一新!


DeNA初代監督・中畑清がチームに元気を注入した


 99年は優勝候補の一角に挙げられながら、39年ぶりの開幕6連敗スタート。以後も戦いは安定せず3位に終わった。マシンガン打線は、史上最高のチーム打率を残しているが、誤算は佐々木の右ヒジ痛による離脱。オフにはFA宣言し、メジャーへ渡った。佐々木の抜けた穴は大きく、翌00年も3位に終わり、権藤監督はわずか3年で退任した。

 01年は名将・森祇晶監督が就任。攻守にチームプレーを徹底し、3位に入ったが、親会社がTBSに代わった翌02年は最下位。森監督は退任し、山下大輔監督になる。

 03年は4月を終わった時点で4勝20敗。5月以降も最下位から抜け出せず、45勝94敗1分。94敗はセ史上ワースト5位の成績だった。さらに04年はメジャーから佐々木が復帰し、4月は12勝9敗と首位に立ったが、5月以降故障者続出。またも最下位に終わった。

 牛島和彦監督となった05年は投手陣が奮起し、3位に。三浦大輔が12勝を挙げ、最優秀防御率と最多奪三振。新守護神クルーンの161キロも話題になった。しかし、村田修一がシーズン途中から四番に定着した翌06年は最下位に終わり牛島監督は退団を表明した。

 大矢監督が復帰した07年は、巨人から仁志敏久などが加わり、戦力一新。7月末までは勝率5割をキープしていたが、8月以降失速し、4位。翌08年は球団ワーストの14連敗もあって94敗の最下位も、内川聖一が右打者史上最高の打率.378で首位打者、村田が2年連続ホームラン王となる。09年も93敗で最下位。大矢監督は途中休養し、田代富雄二軍監督が代行で指揮を執った。10年は尾花高夫監督となるも95敗で3年連続最下位。3年連続90敗以上はプロ野球で初めてだ。悪夢は続き、11年も86敗で最下位。

 親会社がDeNAとなり、球団名も一新した12年。結果的には5年連続最下位だったが、中畑清新監督が明るいキャラでチームを変えた。13年はブランコが首位打者と打点王と打線は好調も、投手陣が振るわず5位に。筒香嘉智が四番に定着した14年も同じ5位だが、優勝した巨人に勝ち越すなど、確かな成長は感じさせた。翌15年は快進撃を見せ、5月末には首位に立つも交流戦で失速し、最終的には最下位に終わっている。中畑監督は退任し、ラミレス監督になった。

 16年は筒香の本塁打王、打点王の活躍もあって、3位で初のCS進出。巨人を破るもファイナルステージで広島に敗れた。17年はまたも3位だったが、今度は阪神、広島を撃破し、日本シリーズに進出し、ソフトバンクに2勝4敗で敗れている。18年は4位に終わったが、98年以来のリーグVに向け、準備は完全に整っている。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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