昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 鎌田と並木が自由契約に
今回は『1967年1月16日号』。定価は60円だ。
1966年、リーグ優勝しながら日本シリーズでは、またも巨人に敗れた南海。67年に向け、補強したのが、ドン・ブラッシンゲーム。メジャー屈指の名二塁手だったが、すでに35歳と体力的な衰えは隠せなかった。
鶴岡一人監督は、「日米野球でセンターに抜けようかという当たりを逆シングルで捕って、そのまま逆トスで一塁走者を二塁封殺にしたプレーは今でも覚えている。彼が二塁を守ってくれるなら内野はしまってくる」と守備に関しては絶大な評価をしていたが、打撃に関しては「左打ちで、ブルーム(前年限りで解雇した外国人選手)よりパンチ力はあるとみている。ただ、ワシが実際に見たのは8年も前だが……」と歯切れが悪い。
さらに「ブラッシンゲームでは舌をかみそう」という話も出ていた。
球団社長も記者会見で名前が出てこず、記者から
「ブラッシンゲームでしょ」
と言われ、
「そうそう、そのゲームの人」
と漫才みたいなやり取りがあった。
過去、「ブルームフィールド」は「ブルーム」にしたが、「ブラッシー」ではカッコ悪いとなり、愛称の「ブレーザー(炎の人)」はどうかという話になっていた。
阪神では、10年目を終えた
鎌田実と
並木輝男がそろって自由契約になった。まだ20代後半だった。
鎌田は、一度は球界から足を洗う覚悟をしたが、近鉄から声を掛けられ、移籍。
並木は10年選手でボーナスがもらえる年ではあったが、プラスアルファを要求するとトレード要員にされ、その後、自由契約となった。
こちらは
中日、巨人、阪急、東京など引く手あまた。条件も阪神時代以上だった。
では、また。
ちなみにゴールデンウイークの10連休中は時々アップします。ただ、週刊ベースボールは合併号にせず、5月1日も発売いたしますので、よろしくお願いします。
<次回に続く>
写真=BBM