昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 北陸の新聞戦争
今回は『1967年6月12日号』。定価は60円。
5月19日の南海戦で東京・
小山正明が通算250勝を挙げた。
阪神には1953年、テスト生として入団だった。
そこにもドラマがある。新聞広告で阪神の入団テストを知り公募。しかし、いつまでたっても合格通知は届かず、小山は一度あきらめ、53年春、今度は洋松のキャンプに行って自ら売り込み。今後は合格を勝ち得た。
しかし、入団契約に行こうかという、まさにその日だったという。阪神から合格通知が届き、もともとファンだったという阪神行きを選んだ。
月給は5000円で、そこから700円は源泉徴収、寮費(若竹荘)は4000円だったので、とても入ることができず、高砂市の実家から通った。
「疲れてしまって帰りは電車を寝すごしてしまうこともよくあった」
と笑う。
当初は、球は速いが、制球難。それが先輩・
渡辺省三のピッチングを見て「これが人間のすることか」と驚いた。捕手の構えたところに寸分たがわず収まる。
以後、制球の大切さを感じ、下半身を徹底して鍛え、フォームを固めた。
4月22日から
中日─阪神の北陸遠征があったが、5月23、24日には今度は巨人─
広島も北陸へ。22日には巨人が富山に到着したが、このときは空と陸の二班。
これは別にどちらかが事故になっても大丈夫なように、というわけではなく、単に
川上哲治監督が大の飛行機嫌いだったからだ。
巨人の宿舎は翌日の試合がある富山ではなく、隣の高岡市にある読売新聞北陸支社内の北陸文化ホテルだった。
もともと北陸は中日新聞の天下だったが、6年前に読売新聞が本格的に進出を企て、この支社をつくった。
高岡は正力松太郎読売新聞社主の故郷で、北陸への読売本格進出はかねてからの正力の夢だった。
身もふたもない言い方をすれば、巨人戦開催もまた、新聞拡販のためだった。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM