昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 代打男・宮川孝雄
今回は『1967年7月31日号』。定価は60円。
5月には首位に立っていた近鉄は最下位に落ちた。
早くも「次のドラフトで、いかにいい選手を取るかが再生のカギ」など気に早い話があったが、そもそも近鉄はスカウトを全員クビにしていた。
当初は、米球界のように地方に情報提供者をつくり、いい選手を紹介してくれた人には謝礼を支払うというシステムを構想していたようだが、そう簡単ではあるまい。
全権を握る芥田武夫球団社長によれば、
「ドラフト会議でどの選手を取るべきかは、まずチームの現状からポジションを決めて、あとは新聞を見ておればいい。各紙がこぞってスター扱いする選手は、やはりスターとしての要素と実力を持っている。私も見にいくが、それは掘り出し物を見つけにいくわけではなく、各紙の評論が正しいか確認に行くだけだ」
という。
まあ、確かにドラフトがあり、事前交渉ができぬ分、それはそれでいいかもしれない。
ほかには「全国各地で入団テストをしたい」とも言っていた。
条件は「俊足、強肩、体の丈夫な若者。貧乏の味をよく知り、野心に燃えている青年ほどいい。条件に合った選手なら野球の素人でも構わない」。
そのくらい資質がよく、ハングリーなら、じっくり鍛えれば、必ず伸びるという考えだ。裏返せば、安いカネで必死に働く選手がほしい、ということか。
少し違うが、地方から中卒の若者を集める集団就職っぽいにおいがする。
別に批判するわけではない。このくらいでもよかったんじゃないかとも思う。
広島の代打男、
宮川孝雄の話もあった。1963年以来、代打打率が常に3割超えという男だ。
この年の6月29日、サン
ケイ戦(広島市民)の0対0、一死一、二塁。ここで四番・
藤井弘の代わりに
長谷川良平監督が代打として送り込んだのが、宮川だった。
宮川は期待にこたえ、センター前にサヨナラヒット。試合後、記者たちに囲まれた宮川は号泣し、3分ほど何も話せなかった。
以下は、少し落ち着いた後の宮川の話だ。
「第1球がスライダーだったから、次は絶対
シュートだと思って待っていた。もう、うれしくてたまらん。このところ4回ほど続けて代打で失敗していたし、どうしても打ちたかった。四番のゴジさん(藤井)の代わりに監督が信頼して使ってくれたんだしね。それに大羽(
大羽進)が投げていたが、進の登板のとき、代打でことごとく失敗している。だから、どうしても進を男にしてやりたかった」
マジメで野球一途の人だったらしい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM