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週べ60周年記念

一軍最下位、二軍優勝の1967年の広島/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

近鉄の三軍テスト実施


表紙は左から東映・大杉勝男、南海・野村克也、東映・張本勲


 今回は『1967年9月11日号』。定価は60円。

 セは巨人、パは阪急が快走。優勝に秒読みとなっていた。
 初優勝に迫る阪急では、小林米三オーナーの記事があった。
 東京・永田雅一、東映・大川博らのように口もカネも出すのではなく(大川は最初、「カネは出すが、口は出さない」と言っていたが、その後は逆になった感もある)、本当に「カネは出すが口は出さない」タイプだったらしい。

 チームについて聞かれても、
「私は西本(幸雄)監督を信じています。現場のことは現場に任すのが一番いいのです」
 としか言わない。

 関西地方の試合は、ほぼ球場に訪れ、観戦。試合の後には選手ひとりひとりを激励。記録をつくった選手には夫人へハンドバックなどを送っていたという。
 
 信任投票の件もあって、西本監督も小林オーナーに心酔。
「オーナーのために今年はなんとしても優勝しなくては。そんなムードを知らず知らず持つから、小林オーナーは不思議な人ですよ」
 感激家でもあり、優勝の瞬間、間違いなく号泣するだろう、と噂されていた。
 
 セでは広島が一軍は最下位も二軍は優勝。
 一軍では、マスコミだけでなく、選手からも長谷川良平監督への批判が聞かれるようになっていた。
 最大の不満分子は大和田明だ。阪神戦では、長谷川監督が代打で起用しようとした際、ベンチから蒸発。そのまま家に帰ってしまい、罰金3万円、謹慎3日の処分を球団から受けた。

 大和田は「腹痛でトレーナーに言って帰ったんだ。トレーナーが監督に伝えなかったんだろう」と言っていたが、もともと長谷川監督に反抗的だったこともあり、信じる人は少なかった。

 期せずして対談はカープの古葉竹識と、雑誌「酒」の編集長・佐々木久子。佐々木女史は、大のカープファンで「広島カープを優勝させる会」の世話人でもあった。
 ここぞとばかり古葉を叱咤激励していたが、その中で後楽園での巨人─広島戦の逸話があった。

「この間、後楽園で押せ押せムードになりながら負けたとき、私が強烈なカープのファンでジャイアンツが大嫌いと知っているおっさんが2、3人、『ざまあみろカープ』って私に言ったの。私も言ってやったの。『女に向かって、ざまあみろカープなんて言ってさ、あんたいい年してジャイアンツがそんなにいいの。弱いところに味方するのが男じゃないの』って。悔しくて、コンチクショーと思ったわ」
 熱い人だ。

 8月25日、日生球場で近鉄の第三軍テストが行われた。自薦他薦は124通。その中には甲子園組の名前もあって球団を喜ばせたが、当日は現れず。結局、飛び入り16人を合わせ、98人でテストが行われた。

 野球のユニフォーム以外にもラグビー、サッカー、陸上の恰好でやってきた人は多かったが、彼らは全員、基準の一つ、遠投70メートルをクリアできず、残ったのは野球経験者のみだった。
 この日は第一次だったが、通過は24人だった。
 
 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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