昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 西宮球場のグラウンド整備苦労談
今回は『1967年11月6日号』。定価は60円。
西宮球場、グラウンド担当・高木繁一さんの話があった。
西宮は、いつも開幕前に土を10センチ掘り起し、四国の吉野川から取り寄せた河口の砂と神戸の水源地の浄化砂、岡山から竹藪下の柔らかい土を運び、土7、砂3の割合で混ぜるらしい。
かなりの手間だが、それでも選手の愚痴は多い。高木さんは、
「競輪との併用ではどうしようもありませんな」
とため息。
西宮球場は競輪場にもなり、そちらの客のほうが多かったので、
「競輪が本業、野球は副業」
と揶揄されることもあった。
それでも晴れ舞台の日本シリーズに向け、連日残業でグラウンド整備に当たった。
その西宮を舞台とした巨人─阪急の日本シリーズ第1戦の巨人先発は
金田正一。
前夜、竹園旅館には、歌手の美空ひばりが訪れ、一緒に焼き肉を食べた。梅田コマ劇場で、芸能生活20周年記念のワンマンショーを開いていたらしい。
「あんな忙しい人が激励に来てくれるんやから、ほんまうれしいで。ワシは『勝つ』とは言わんかった。『命がけで頑張る』というた。あの人は、命がけで頑張るという意味がわかる人や」
と金田も感激の様子。
この日の昼間には、両軍首脳陣が顔を合わせ、ルールの打ち合わせがあったが、阪急・
西本幸雄監督から「金田のツーステップはボークではないか」とクレームがあった。
川上哲治監督は表情も変えず「わかりました。金田君によく注意しておきましょう」と答えたという。
金田がそれを聞き、「なに? ワシはツーステップなんてしておらんぞ。西本さんはワシに恨みがあるんとちゃうか。おかしいこっちゃ」と目をむいた。
迎えた試合は7対3で巨人の勝利。金田が勝利投手、
長嶋茂雄が3安打3打点と活躍した。
さらに2戦目は巨人・堀内恒夫が
足立光宏との投げ合いを制し、1対0の完封勝利。自身の日本シリーズ初勝利でもあった。
大洋を退団した
三原脩監督の行方が注目されていた。引く手あまたかと思いきや「いまさら三原」という声も多かったらしい。
唯一、動いたのが近鉄だった。
ただ、たまったものではないのが、選手兼任で監督を1年やったばかりの
小玉明利。確かに4年連続最下位だったが、この年は阪急大独走でほかは今一つ。2位の西鉄が66勝、近鉄は59勝で7ゲーム差だった。
「1年間、チームを育ててきて、土台をつくったところでポイかい」
とぼやく、ぼやく。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM