昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 スピット(唾)ボールの禁止
今回は『1968年4月1日号』。定価は60円。
インテリヤクザ、若親分と呼ばれていたのが、
広島・
根本陸夫新監督。別に暴力的というわけではないのだが、目つきが悪く、私服になるとコート、マフラーに黒いソフトのいでたち。少し前かがみになって歩くところもそれっぽかった。
オープン戦絶好調とあって週べでもインタビューをしていたが、
「現在の力からいって、巨人と広島の間には大きな力の差がある。もちろん、カープのほうが劣っているわけでしょう。わたくし自身、それは十分に認識しているのです。劣っているのに勝負することはないと言われるかもしれませんが、ペナントレースだし、試合をせんわけにはいきませんよ。ハハハ」
新監督にしては謙虚過ぎかと思ったが、
「ことによると、ことによるとですよ。うちは優勝するかもしれませんよ。社長にも祝勝会の会費を積み立てるよう相談したしたら、みんな大乗り気でしたよ。そのときは、ご招待しますから。アハハ」
明るいというか、腹がすわっているというか。
中日・
江藤慎一のレコードが発売された。タイトルは「夜霧よ二人のために」。
吹き込みの際、「どうもしらふでは調子が出ん」となって、応援にかけつけた
小川健太郎と一杯やってから吹き込んだらしい。
それでも「自分の歌をレコードで聞くと、なんだか恥ずかしくたまらない」と、怖い顔を赤くしながら盛んに照れていた。
この年からルールブックにスピットボールの禁止が加えられることになった、要は「ボールにつばをつけちゃダメ」ということだ。当初、メジャーでは禁止ではなかったが、不規則な変化で打者の死亡事故が起こり、1920年ごろから禁止になったものだ。
指に唾をつける投手では西鉄の
稲尾和久が有名だった。稲尾は
「俺はツバキをボールを変化させるためにつけていたわけじゃない。単なる癖だから平気だよ」
と言うと、すかさず、
重松通雄コーチが、
「サイちゃんは指をしゃぶらんと気合が入らんのだよ。赤ん坊時代の癖でね」
とちゃかしていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM