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週べ60周年記念

新生根本カープ、絶好調!/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

巨人の新人・高田繁デビュー


表紙は近鉄・三原脩監督。ちなみに中ではバファローズになってます



 今回は『1968年4月29日号』。定価は60円。

 4月7日の開幕第2戦、巨人─大洋戦(後楽園)。
「一番センター、高田。背番号8」
 のコールに球場がざわめいた。柴田勲の定位置「一番センター」に、新人の高田繁が入ったのだ。第1打席はレフト前で先制点のホームも踏んだ。結果6打数2安打。
「開幕第2戦に出場できるなんて、実にいい気分ですよ」(高田)
 ちなみに高田は第1戦は途中出場でヒットを放っていた。

 柴田は「これ以上の最低はない。とても打てる自信はない」と自らこぼすほどの不振だったが、それでも不動の斬り込み隊長。プライドを考え、開幕戦はスタメンとなったらしい。
 
 開幕から根本陸夫監督の下、旋風を起こしていたのが広島。若き日の根本については、さまざまな本が出ているのでご存じの方が多いと思うが、ここではこんな記述がある。

「法大でも硬派であった。さながら町の親分気取りであったという。新宿の町を肩で風を切って、のし歩いたそうだ。軟派の学生は根本の姿をかいまみただけで、路地裏に難を避けたというほど」
 さらに、
「彼の自慢の種は、かなり手に負えないこともやったが、若き日でも破廉恥なことはやらなかったことである」
 ともあった。ただし、根本は自身の若者時代を話したがらず、ほとんどは関係者の話からだった。
 
 とはいえ、根本が南海・鶴岡一人監督のように親分肌で時には厳しく怒鳴っていたというわけではない。
 練習は走り込みがメーンで、選手の指導はコーチに任せ、自らはマネジメントに徹した。また、選手の評価を細分化し、フォア・ザ・チームのプレーへの評価をきちんとするよう打ちだしていた。

 前回触れた東映・大下弘監督による史上初の予告先発、予告スタメンは功を奏さず、黒星スタート。
 以下、やや下ネタが入ります。18禁で。

 開幕前夜にスタメンを発表した際の大下監督の話。
「よその球団はみみっちい。どしどし発表したほうが豪快な野球ができるのに。うちは森安の先発だが、あの球威をもってすれば、そう簡単に打たれるはずはない。それにあすは記念すべき監督の第一歩。開幕戦は処女試合だ。処女は力づくでも陥落させたいな」


 4月14日、初めてイースタン・リーグが後楽園で開催された。
 カードは巨人─大洋。試合前には島和彦の歌謡ショーもあった。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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