ファン一人ひとりの胸に宿る甲子園のヒーロー。第100回の大きな節目となった夏の甲子園を前にNPB100人に「甲子園のヒーローは?」とアンケートを実施して「B.B.MOOK1414 ファンが選ぶ名勝負ランキングベスト100」に掲載したのをここに公開。迎えた第101回、新たなるヒーローは誕生しただろうか? 甲子園で準決勝を観戦した松山竜平
その得票数は30票。これだけ票が割れた中で、その存在は圧倒的といえる。1998年の夏、準々決勝で延長17回を投げ抜き、準決勝ではリリーフで試合の流れを変え、そして決勝でノーヒットノーラン。これが、もしマンガなら、リアリティーがないと一蹴されそうだが、それを現実にやってのけたのが、この男だ。
【NPB100人が選んだ甲子園のヒーロー】
・1位(30票)
★
松坂大輔(横浜・投手。
中日)
(出場校とポジション。現在の所属)

横浜・松坂大輔
その同世代にも強力な選手が並び、“松坂世代”と言われていた。
西武の
赤田将吾コーチは、
「同学年ですが、当時は新聞上の人でした(笑)。でも、あの時代から150キロを超えるストレートを投げていましたし、何よりも、とにかく勝っちゃうところがすごい。春夏連覇に加え、決勝でノーヒットノーランなんて、とんでもないでしょう。永遠に僕らの世代の象徴です」
ほかにも、1学年下になる
日本ハムの
鶴岡慎也や、
巨人の
山口俊らは、印象に残るシーンとして決勝ノーヒットノーランを挙げる。
アンケート当時は
ソフトバンクで、現在は
ヤクルトでプレーする
五十嵐亮太と
寺原隼人も松坂に票を投じた。1学年上になる五十嵐は、
「自分たちは俗にいう“谷間の世代”。松坂世代に負けたくないと思うことができました」
甲子園で新記録154キロをマークした寺原は、
「投げ方もマネしていました。松坂さんがいたから、そこまでの数字に行けたと思います」
同世代だけでなく、多くの後輩たちが松坂を目指し、挑んでいったことが分かる。
中学生のときに準決勝を甲子園で観戦したというのが、
広島の
松山竜平だ。
「内野席の上のほうから見ていました。松坂さんが途中からマウンドに上がったときの歓声がすごかった。そして、すごいボールを投げていました」
準々決勝を戦った平石監督
延長17回の準々決勝での力投を印象に残しているのが中日でチームメートになった
亀澤恭平と、
楽天の
茂木栄五郎だ。今でも松坂の試合をビデオで見ることがあるという亀澤に対して、母が松坂のファンだったという茂木は、リアルタイムでは見られなかったというが、
「当時まだビデオですけど、録画してあったんですよ。それを繰り返し、繰り返し見ていました」
現在は楽天の指揮を執る
平石洋介監督は、その準々決勝で、PL学園の主将として松坂と激突。三塁コーチャーとして捕手の体勢から球種を見抜き、この準々決勝を名勝負へと昇華させた立役者の1人でもある。
「同い年で、これだけすごいピッチャーがいるんだな、と。すべてにおいてすごかった。けん制も、フィールディングも。最後の夏は(松坂と)当たりたい、倒したいと思っていました。そうしないと全国制覇はできない。いろいろ工夫して練習もしていましたし、満を持しての対戦でしたが、勝てませんでしたね。いいピッチャーはいっぱいいましたけど、群を抜いていました」
“平成の怪物”と呼ばれた松坂。平成は終わったが、令和の時代も伝説は続く。
写真=BBM