昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 柴田勲、左右の迷い
表紙は巨人・高田繁。ヘルメットのマークが外れかかっている
今回は『1968年8月12日号』。定価は60円。
東映・
大下弘監督の進退問題がにぎやかになってきた。
門限なし、サインなし、罰金なしの三無主義で話題となった大下監督だが、代打で起用しようとした
白仁天が、すでに自分の出番はないだろうと勝手に判断し、風呂に入っていたという、白事件あたりからおかしくなった。
いや、これ自体はまあ、珍事件と言ってもいいのだが、そのとき大下監督が担当記者に、
「書いてくれるな。もし記事にした社があるなら、その記者には今まで十数教えていたことを一か二しか教えんぞ」
と血相を変えてすごんだあたりで、記者たちが「この人はうわさに聞くような豪傑ではないな」と足元を見た、らしい。
確かに、選手の自主性尊重はいいのだが、やっていることはかなりでたらめ。
代打の場面で選手同士が「オレは出る」と主張(この時点でダメだと思うが)。それを見た大下監督、何を言ったかというと、
「だったらジャンケンで決めろ」
だった。
チーム内でも優柔不断な大下に対し、選手の信頼がまったくなくなり、特に
張本勲との対立は深刻。
球宴第1戦で張本が、
「水原さん(茂。前任監督)がいなくなって、親のありがたさが分かりました」と言ったことが、大下批判ではないかと物議を醸したりした。
それでもチームが勝っていればいいのだが、低迷。折しも大下監督がオールスターのコーチを病気を理由に辞退したことで、一気に「このまま休養か」となったわけだ。
5月28日、
川上哲治監督の指示で右打ちに専念していた巨人・
柴田勲。スイッチヒッターでブレークした男だが、
本人は当初、
「左だと2本続けてヒットが出ない時期だったから、まあいいかとOKした」という。
ただ、なかなか右で結果が出せず、記者からは「なぜスイッチに戻さないのか」と質問が出るようになった。
柴田は、
「どうして調子の悪い僕をいじめるの。まるでかわいい子羊をよってたかっていじめるオオカミの群れですよ」
とちゃかしていたが、
「打席でどちらに入ろうか迷う時がある。右だと左よりパンチ力があると言われるが、それほど違うとは思わないんだよな、実際は」
とも話していた。
オールスターの時期の恒例が他球団同士の豪華対談。
この号には
阪神・
江夏豊、近鉄・
鈴木啓示の対談が掲載されていた。
では、またあした。
前回8月21日とあったのは7月21日の間違いでした。ご指摘ありがとうございます。
<次回に続く>
写真=BBM