昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 飛行機から降ろされる
今回は『1969年8月25日特大号』。定価は80円。
グローバル・リーグの参加した元大洋・室井勝の手記が掲載されていた。
文章は1969年7月3日、ベネズエラ・カラカスからスタートする。
翌日の便でようやく、この街を脱出し、ロサンゼルスに行ける、という前夜だ。
これまでの回も読んでいただいていると思うので流れは省くが、ホテルから立ち退きを迫られていた選手たちは、食費の足しにするため時計など私物を質屋に入れるなど、厳しい毎日を送っていた。
翌4日、早朝6時45分、ホテル出発。ホテルの従業員がそれを見つけ、何事か話しながら引き留めようとするが、言葉の分からぬ選手たちは、それを無視し、タクシーに乗り込んだ。
滞納した宿泊費がまだ払われていないのは分かっていたが、あえて知らぬふりをしていたようだ(手記は全体に脱獄劇のようになっている)。
飛行機に乗るところまでは無事だったようだが、そこに背広のベネズエラ人が2人入ってきて、日本選手の中で唯一英語が話せる古賀とやり取りを始めた。
その後、選手は全員、飛行機を降ろされたという。
残り少ないお金を集め、空港で食事をとった後、海の公園方向にトボトボ歩き、ボード小屋に仮寝の宿を求めた。
翌日の午後には大使館から使いが来て、ひとまず大使館で寝る場所は確保すると言ってくれた。
手記の後、外電が届き、ロスにいた
森徹監督がグローバル・リーグとホテルに交渉し、ひとまずリーグから宿泊費の半額を払うことで日本選手の“解放”を約束させた。
カラカスからロスへの飛行機代については、現地の日系人
和田勇氏が負担。順調にいけば、10日には日本に帰国できる予定という。
選手を置いてずっとロスにいた森監督については、けしからん、という批判もあったが、森に好意的な消息筋は、
「6月下旬に森監督がアメリカに渡ったが、そのときプロレスラーのグレート東郷の家に何泊かしている。おそらく東郷の顔を使って選手を救済しようとしていたのではないか」
と言っていた。
グローバル・リーグのベネズエラ興行で未払いとなっている金額は、およそ8万ドル(2880万円)という。
果たして、本当に日本選手は帰ってこられるのか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM