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14年ぶりに西武へ復帰する松坂大輔の名勝負を振り返ろう!

 

 2019年12月3日、中日を退団していた松坂大輔西武が獲得したと報じられた。14年ぶりの古巣復帰となるが、来季どのようなピッチングを見せてくれるのか、今から注目が集まっている。さて、松坂といえば2006年オフにメジャーに移籍するまで西武のエースとして君臨し、気迫のピッチングで球史に残る名勝負を生み出してきた。今回は、松坂大輔の名勝負をあらためて振り返ってみよう。

衝撃の155キロ


プロ初登板で155キロをマークした


 松坂を語る上で外せないのが、公式戦初登板となった1999年4月7日の日本ハム戦(東京ドーム)での片岡篤史との対決だろう。1回裏に公式戦初マウンドに上がった松坂は、一番・井出竜也をストレートで三振に取ると、続く小笠原道大もピッチャーゴロで2アウト。迎えた三番・片岡との対決で、衝撃の1球が投じられることとなる。

 松坂は片岡に対して、初球は低めに外れるスライダー、2球目はストレートでファウルを奪う。3球目は外れて2ボール1ストライクとなるが、4球目の変化球で2ストライクに追い込んだ。迎えた5球目、松坂が投じたインハイのストレートはなんと155キロを計測。バッティング技術に定評のあった片岡だが、ボールにかすることすらできず豪快な空振りで三振に倒れた。

 甲子園を沸かせた平成の怪物がプロの世界でも変わらず怪物であることを、たった1球で証明した瞬間だった。

自信が確信に変わった名勝負


イチローとの初対決では3奪三振


 西武が松坂を獲得したことで野球ファンが期待したのが、オリックス・イチローとの対戦だ。当時のイチローは5年連続で首位打者と最多安打のタイトルを獲得しており、誰もが認めるNPB最高のバッター。そんな天才・イチローと怪物・松坂との対決は、松坂入団1年目の1999年5月16日、西武ドームで実現した。

 注目の第1打席、松坂は150キロを超えるストレートと鋭い変化球で勝負し、イチローもこれにしぶとく食らいつく。しかし、カウント2−2で迎えた6球目、松坂の投じたストレートに反応が遅れ空振り三振。3回表の2打席目もスライダーに手が出ず見逃し三振。6回表の3打席目も空振り三振を奪い、希代の天才バッターを3打席連続三振に抑える衝撃のピッチングを披露。松坂がヒーローインタビューで語った「今日で自信が確信に変わった」という言葉も話題になった。

 しかし、やられっぱなしで終わらないのがイチローのすごいところ。初対戦から1カ月後の6月23日の試合で松坂から初ヒットを打つと、7月6日の3度目の対戦では、なんと自身100本目のメモリアルアーチを松坂から放っている。手が出なかった初対戦からわずか10打席でホームランを打てるほど「修正」できるのは、イチローぐらいだろう。

オールスターでの全球ストレート勝負


 前年に最多本塁打と最多打点のタイトルを獲得していた巨人松井秀喜も、平成の怪物との対決が望まれたバッターだ。ただ、当時は交流戦もなく、対決のチャンスはオープン戦、オールスター戦、日本シリーズの3つしかなかった。しかし、1999年3月のオープン戦で早くも対決が実現。このときは3打数無安打1四球で松坂に軍配が上がった。

 次の対戦となったのが1999年のオールスター第1戦。全パの1番手として登板した松坂は、2回に松井と対戦。149キロのストレートでレフトフライに打ち取った。ほかに日本シリーズでも対戦した両者だが、松坂がことごとく打ち取っている。そんな中、2001年のオールスター戦で松井が一矢報いることになる。

 オールスター第2戦目に2番手で登板した松坂は、松井に対して1球目、2球目、3球目とすべてストレート。いずれもボールとなったが全球ストレートでの真っ向勝負を挑んだ。対する松井もストレート狙い。球宴らしい力と力がぶつかり合った結果は、松井が4球目147キロのストレートをバックスクリーンに叩き込んで勝負あり。NPB時代での対戦ではこれが唯一松坂から奪った本塁打となった。

リーグ投打の最強同士の対決


 松坂と各球団の強打者たちとの対決は、どれも見応えのあるものばかりだったが、特に好敵手だったのがダイエー(ソフトバンク)の松中信彦だ。2004年には三冠王に輝いた球界屈指のスラッガーと松坂との「真っ向勝負」は、両チームのファンを大いに盛り上げた。

 2005年7月15日に行われたソフトバンク対西武戦(ヤフードーム)は、まさに両者の意地と意地がぶつかり合った試合だったといえるだろう。この日先発した松坂は、松中に対して気迫の直球勝負を挑む。対する松中もこれに応え、2回の第1打席はレフトスタンド、4回の第2打席はライトスタンド、9回の第3打席もライトスタンドへのサヨナラホームランと、いずれも松坂の気合の一球を力でねじ伏せてみせた。

 2001年6月2日に行われた試合では、松中は1回裏に松坂から「バットを折りながらの130メートル弾」を放っている。バットを折りながらのホームランなどめったに出るものではないが、両者の気迫あふれる真っ向勝負が、こうした奇蹟を引き起こしたのだろう。

チームの逆転を呼び込む好リリーフ


1998年、夏の甲子園でも数々の熱投を見せた


 松坂といえば、1998年の夏の甲子園決勝でのノーヒットノーランが有名だが、そこに至るまでの道のりも激闘の連続だった。延長17回、250球を投げ勝った準々決勝のPL学園戦は特に有名だが、急きょ9回に登板することになった準決勝の明徳義塾戦も、PL戦に勝るとも劣らない気迫のピッチングだった。

 PL学園の次に明徳義塾と戦うことになった横浜は、疲労回復のために松坂を温存する作戦を取る。しかし、8回表までに6失点。その裏に横浜は4点を奪うも、これ以上の失点は許されない状況に追い込まれてしまう。そこで松坂がマウンドに立ち、最初のバッターはカーブで三振、2人目は四球で出塁させてしまうが、続く3人目をダブルプレーに打ち取り3アウト。登板するまでテーピングをぐるぐる巻きにした、痛々しい姿の松坂だったが、見事に相手の反撃をシャットアウトする。

 すると9回裏、連続出塁とフィールダースチョイスで無死満塁とすると、続く後藤武敏が同点タイムリーを放ち、最後は柴武志がサヨナラ打。逆転で決勝進出となり、これが史上2人目となる決勝戦でのノーヒットノーランにつながることになった。

 14年ぶりの古巣復帰となった松坂は、果たしてかつてのように「熱い名勝負」を見せてくれるのか。2020年シーズンのピッチングに注目だ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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