昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 金田正一の引退試合
今回は『1970年4月20日号』。定価は80円。
4月2日、
巨人・
金田正一がオープン戦のアトムズ戦(後楽園)で引退試合を行った。
セレモニーでは選手代表として
長嶋茂雄があいさつ。
「金田さん、いや今日はカネさんと呼ばせてください」
から始まるあいさつで、客席を、そして金田の涙を誘った。
当時、引退試合と引退セレモニーは別物で、引退試合は収益がその選手に贈られる(全額ではないが)。球団がそれだけその選手の功績を認めている証しでもあった。
巨人では金田が
千葉茂、
川崎徳次、
別所毅彦に次ぐ4人目だった。
この日、正力亨オーナーから背番号34が永久欠番となることも正式発表されている。
黒い霧事件が、また進展を見せた。
行方不明と言われている
永易将之のインタビュー記事が、3月25日から3号連続で内外タイムズに掲載されたのだ。
さらに4月1日にはフジテレビで、そのときのインタビューが流された。
最初にマスコミで永易の足取りが報じられたのは、内外タイムズ1回目の1日前の24日の毎日新聞だった。
永易が札幌にいることを突き止めたが、接触前に消えた、という内容だった。
その後、名古屋でライター・大滝譲司氏が永易のインタビューに成功し、内外タイムズに掲載された、という流れのようだ(テープをフジテレビに売ったのも大滝)。
インタビューの中で永易は八百長行為については認めているが、それを自分に頼んだ人間が暴力団関係者かどうか尋ねると、
「それはないと思います」
と答えている。
さらにインタビューでは、西鉄から「生活費については一生面倒を見ると言われた」と語っている。
要は「一生面倒を見るから、ほかに八百長をやっているものがいるとはしゃべるな」ということだろうか。
もちろん、永易が本当のことを言っているかどうかは分からない。
連載漫画「二軍の旗」が新章を迎えた。今度の主役は九鬼周平。かなり破天荒な話になりそうだ。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM