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“松井5敬遠”で自己紹介。帝京平成大・河野監督が目論む近い将来神宮へ

 

「すべては、学生のためです」


帝京平成大野球部・河野和洋監督は1月16日、横浜市内で行われた「全日本大学野球連盟監督会」に出席した


 自身の「キャリア」を惜しみなく披露した。

 昨年11月から帝京平成大野球部を率いる河野和洋監督が1月16日、横浜市内で行われた全日本大学野球連盟監督会に出席した。

 全国26大学連盟から約170人の監督、コーチなど指導者が出席。午後2時30分から報告事項、講演、規則改正説明、各委員会報告などが約3時間行われた後、午後6時からは懇親会。乾杯、歓談後に新監督紹介があった。

 そこで、河野監督は自己紹介として、1992年夏の甲子園2回戦の話題を持ち出した。壇上でマイクを手に「(星稜高の)松井秀喜選手(元ヤンキースほか)を5敬遠した河野です。私のことは敬遠せずに、お付き合いをしていただければありがたいです」とあいさつして、宴会の雰囲気を盛り上げた。

 明徳義塾高(高知)の主戦投手として当時、社会現象にもなった5打席連続四球を与え、松井にバットを1度も振らせなかった(試合は明徳義塾高が3対2で勝利)。河野監督は高校卒業後、専大、ヤマハ、アメリカ・独立リーグでプレー。帰国後は社会人クラブチームの監督を経て、18年12月に学生野球資格回復研修を受講した。翌19年2月に同資格が認定されたのち、帝京平成大のコーチに就任し、同11月に監督に昇格。そして初めてこの日の「監督会」に出席し、キラーコンテンツを出したのである。

「すべては、学生のためです。顔を覚えてもらわないと意味がないので、(5敬遠の話を)使わせていただきました」

「甘くないが、狙うは日本一」


 新監督の中には拓大・馬淵烈監督の姿もあった。明徳義塾高で甲子園歴代4位タイの51勝を挙げている馬淵史郎監督の長男である。

「私が高校3年時に3歳でした。同じタイミングで監督に就任するのも何かの縁ですが、烈(つよし)には、負けてはいられません。今も、馬淵(史郎)監督には、ことあるごとに電話して相談させてもらっています」

 帝京平成大は千葉県大学リーグ二部に在籍。

「医療が専門の大学なので、学生たちは体のメカニズム等を勉強しています。投手はボールの回転数、回転軸、打者はヘッドスピードら打球速度、また動作解析など科学的な根拠から指導を進めています。授業最優先であり、練習時間が豊富に取れません。頭を使いながら、効率良いメニューを考えています」

 初めて指揮を執る今春の目標はズバリ「二部優勝で一部初昇格」。そして、近い将来、千葉県大学リーグを制して神宮に立つこと。さらに、最終的に「甘くはないと思いますが、もちろん、狙うは日本一です」と力強く語った。

 この日、スーツの右ポケットには名刺200枚を忍ばせていた。約2時間の懇親会中はパーティー会場内を隅から隅まであいさつ。中締めとなった後も最後まで会場に残り「もう、10枚くらいしか残っていないです」と頭を下げ続けた。今春のオープン戦日程はほぼ決まっているが、夏場以降のスケジュールを調整する場として、有意義な時間となった。多くの実戦機会を踏むことが学生のためになると、河野監督は可能な限り動き回ったのだ。全国の大学野球の監督の前で「顔」をしっかり売り2020年春、新たな挑戦がスタートする。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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