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黒い霧事件で疑惑の西鉄6選手にコミッショナー喚問/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

暗い話ばかりで申し訳ありませんが


表紙は巨人高田繁


 今回は『1970年5月18日号』。定価は80円。
 
 予告どおり、前回と同じ号から黒い霧の続報。

 5月4日、全員が「シロ」を主張していた西鉄の6選手に対するコミッショナー(この記事では、コミッショナー個人ではなく、今ならNPBのような組織をさしているようだ)の喚問があった。
 7時間におよぶ事情聴取の順番は、与田順欣益田昭雄船田和英池永正明村上公康基満男
 宮沢コミッショナー委員長は「順番に意味はない」と言ったが、報道陣は「噂の濃い順じゃないか」と話していた。

 喚問後の記者会見には200人の報道陣が集まり、放送関係のマイクが30本、テレビカメラが10台並んだ。ある新聞記者は「3億円事件(68年に発生した未解決の窃盗事件)の記者会見以上だね」と驚いていた。

 まず与田が、「すべて事実無根。すべて永易将之がウソを言っている」と話した。腕を組んだまま、何を聞かれても冷静に受け答えをしていたのも印象的だったという。

 ほかの選手は与田とは違い、動揺しながらではあったが、「何も知らない。八百長などしていない。永易は嘘をついている」という内容の答え以外しなかったのは同じだった。

 記者からは「ならば名誉棄損で永易を訴えたらどうだ」と言われたが、皆、「球団とコミッショナーに一任する」の一点張り。これについては、選手の会見後、コミッショナー委員長に聞くと「一任? そう言われても意味が分からない。選手個人の問題だ」と話していた。

 コミッショナーは正直なところ、この問題にあまり深入りしたくなかった様子がある。それがこのような喚問、問題選手の会見となったのは、世論がそれを許さなかったからでもある。
 だからといって、これは必ずしも「正義感」からではない。どちらかと言えば好奇心。要は「知りたがり」のほうだ。

 結果的に世論をあおってしまったのは、情報が少しずつ明らかになり、しかも二転三転したこともあった。

 特に西鉄・楠根オーナーの発言はまずかった。
 永易が「逃走資金はオーナーからもらった」の発言の後、「私は永易なんて男の顔も知らない。金など渡すわけがない」と否定。それが1カ月後の4月27日には新聞記者に追い詰められ、「永易に泣きつかれて100万程度の生活費を渡した」と発言。その後、地検に調べられると「更生資金として550万円を渡した」に変わった。
 オーナーは「人を助けるのが私の人生の信念。信念に基づいて私は行動している」と言っていたが、当時の550万と言えば、今の3000万円くらいではないか。
 これはもう、かなりやばい話に対する口止め料でしかないと、誰でも分かる。
 
 すでに逮捕されている元暴力団員・藤縄洋孝は永易にこんな風に言ったらしい。
「まず先発投手に四球か死球で最初の走者を出すように言いくるめるんだ。それで次の打者にはバントをさせ、それを投手か内野手に悪送球させる。あとは簡単だ。投手、内野手と組んでエラーをさせる。前半はこれを繰り返せ」
 これで成功したのが3回のうち1回というから割が合わない。それだけ野球の八百長は難しいということだろう。

 地検ではすでに与田、益田については立件できるだけの証拠はつかんでいたようだ。
 うち永易ルートでないのは池永だけ。永易も「田中勉が金を渡したはず」としか言っておらず、八百長があったのかどうかも「分からない」と答えている。

 コメント欄で大杉勝男さんにサインをもらいにいった方の話があった。
 いいな、と思った。
 多少なりとも、皆さんの懐かしき思い出を呼び覚ますきっかけになっているなら、それはとてもうれしいです。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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