一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 誰が監督でもロッテは勝てた?
今回は『1970年10月12日号』。定価は80円。
前号からもう1回やっておく。
各チームのヘッドコーチ格、いわゆる「参謀」の特集があった。
まず、投打に圧倒的な戦力で優勝を目前とする
ロッテ。このチーム、実は、
濃人渉監督の評価がもともと高くない。
第三者が見てもおかしいと思われる采配が多すぎる監督として知られ、一時はナインからの文句も絶えなかった。
永田雅一オーナーから首脳陣批判は厳禁と言われ、以後、一応は収まっていたが、これは結局、濃人の「俺の采配は間違っていない」という勘違いにつながるという声も多かった。
それがこの年は、「参謀」土屋弘光コーチが作戦の疑問についての聞き役となり、また一塁コーチとして濃人がおかしなサインを出すと、修正することもあり、快進撃を陰で支えているとも言われた。
ただ、この年のロッテは、誰が指揮を執っても勝てたかもしれない。
投手陣では、最終的に
成田文男が25勝、
木樽正明が21勝、
小山正明が16勝と三本柱で62勝。彼らの完投数は驚くなかれ、59試合だ(130試合制)。
さらに打線もすごい。
アルトマン、ロペス、
有藤通世などを擁し、チーム打率.263、166本塁打はいずれもダントツだ。
打線が活発なパと対照的だったのはセ。こちらはよろめきながらも優勝に近づいていた
巨人は、この時点での3割打者は
王貞治のみ。ただ、それはセ全体も同じ。
最終成績であるが、この年、セの3割は王の.325のみ。2位の
安藤統夫(
阪神)で.294だ。しかもホームランも王の47本に続くのが30本。まさに別格だ。
リーグ全体で打率.234、防御率2.92というから、まさに投高打低のシーズンだった(パは.246、3.58)。
話を「参謀」に戻す。前年の最下位から2位に躍進した南海では「ダン」と呼ばれた
ブレイザーの評判がいい。メジャー時代から頭脳派二塁手として知られ、ピークは過ぎていたが、67年から3年間、南海でプレー。その間、
野村克也が彼の野球論に心酔し、兼任監督になると、ぜひにと同年限りで退団したブレイザーをヘッドコーチに呼び寄せた。
そのときブレイザーが持参したのが、投手のピッチングの心得から守備のフォーメーション、走塁に至るまで細かく書かれたメモ、そしてシンキング・ベースボールという言葉だった。
1年目の兼任監督野村はブレイザーに采配を委ね、自らもブレイザーのサインで動いていたという。
打者のタイプに合わせた大胆なシフトなど、ブレイザー野球はかなり革新的だったらしい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM