一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 野球は本当に余技だったのか
今回は『1971年2月8日号』。定価は90円。
まず、記事の冒頭をそのまま引用しよう。
永田雅一氏、涙の引退、という記事だ。
長い記事なので前後編とさせていただく。
「メンツにこだわってはおれないんだ。キミ……」
永田雅一
ロッテオーナーの目に光るものがあった。沈痛な面持ち……。いつも朗々たる永田オーナーの声色も、しめりがちだった。
永田オーナーの涙、東京球場で選手やファンにもみくちゃになりながら、メガネもとばしたそのオーナーの赤く興奮した頬に流れたうれし涙──それから三カ月あまり、この日の永田オーナーの涙は、あの喜びのそれと、まったく異質の、無念の、断腸の思いがつのったものだったろう。
語り続けるうちに激してくる永田オーナーの頬は、ときおり
ケイレンでもしたようにひくひくと脈打っている。会場にはオーナーの声だけで、それが途切れると、不気味なほど静まり返る。
永田オーナーの記者会見は、いつも陽気で、笑い声が絶えず、オーバーにいえば、夏祭りの趣があった。だが、この日の会見は一転して通夜の風情──。悲壮感がひしひしと、人の胸を打つようであった。
──これは一月二十二日、東京・京橋の大映本社四階の会議室で行われた。
「永田オーナーが、ロッテ・オリオンズの経営から手をひく」という、プロ野球界にとって大きくショックを与える声明を記者団に発表した日の表情である。
この日の記者会見は、その日の朝、A新聞が特に報じた「永田オーナー、身を引く」の記事がきっかけとなっての緊急会見だったが、午後1時の予定に10分遅れて会場に姿を現した永田オーナーは、まず、
「誤解を招くといけないから率直に言う。真面目に聞いてもらいたい」
と釘を刺した。その声でやはり来るべきものがきた、という感じを記者団は感じた。
そしてオーナーは、記者団を前に、球団から身を引くことを説明した。
「ここ数年、映画界は重大な危機に直面した。そのなかで大映もごたぶんにもれず、重大な危機を迎えている。
わたし自身、映画界で生まれ、映画界で死ぬというのが本当の心情だ。またそういう運命になるんだ。だから、このまま大映を捨てて球団につくということはできないんだ!」
悲痛な声でそう言った。
昨年のいまごろ、大映は八十三億円の負債があった。これを会社の地所や本社も入れて五十五億円で売却した。そのまま赤字がなくなれば二十八億の負債で、なんとか立て直しの方策はつく。
しかし人件費、タレントのギャラアップなどで赤字は解消せず、逆に十三億の赤字。ついに合理的に編成し直さなくてはならないぎりぎりのところまで追い込まれたという。
過去、大映は球団に十五億のカネをつぎ込んでいるし、永田オーナー自身も、ここ二、三年に一億二千万円はつぎ込んだが、昨年優勝しても九千万円の赤字を抱え込んだというものである。
永田オーナーは、説明しながら、ときには目をつぶり、腕組みをして、激してくるものを抑えようとするのがいっそう悲壮感をただよわせたようであった。
そして振り絞るような声で言った。
「私は映画で死ぬ男だ。野球はやはり余技なのだ」
だが、この言葉が本音だったのだろうか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM