一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ヤクルトの背番号3はイマイチ?
今回は『1971年2月22日号』。定価は80円。
ロッテのアメリカキャンプはSFジャイアンツの完全招待という形で滞在費は一切なかったという。これは70年春、ロッテがSFジャイアンツを日本に招待したことに対するお礼だった。
ただ、このキャンプは完全にジ軍任せだったようで、スケジュールがひどい。
カサグランデのキャンプの後、3月5日から4月4日まで24試合が組まれていた。しかも10日開幕なのに6日に帰国という。
さらに黒い霧の余波もあった。
エース・
成田文男と暴力団員の交際疑惑だ。
前年末、黒い交際疑惑で大洋が
鈴木隆コーチの二軍降格、
坂井勝二を無期限試合出場停止処分(のち解除)にした。
成田は鈴木から暴力団員を紹介されたが、「食事はしたが、その人が暴力団員だったとは知らなかった」という。
黒い霧については、西鉄を
池永正明が永久追放となってたが、この号の大井廣介のコラムのタイトルは「何故池永減刑運動をやらぬか」。
池永は先輩投手の
田中勉から八百長を依頼されたが、断った。金は預かったが、それはのち返している。
ただ、以後、
阪神・
江夏豊のように野球賭博常習者との付き合いがあり、これは別の人物からだが、暴力団員から時計までもらっていたり、ほかにも野球賭博常習者との交際が明らかになった選手が何人も出ていた。
しかし、そこまで厳しい処分はない。
おかしくないか、池永の永久追放は重過ぎる、西鉄は球団として減刑運動に取り組むべきでは、という話だった。
背番号特集もあったが、
長嶋茂雄の代名詞である「3」が意外と短命な球団もあるという。
一番はヤクルトの「3」。69年が
ジャクソンで死去、チャンスが2年でクビ、そして今年から荒川堯……。実はその後も、短い期間が輝いた選手はいるが、あまり長続きせず、
ラミレスが最高の成功例と言えるだろうか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM