プロ野球の歴史の移り変わりとともに、各球団のユニフォームも時代ごとにさまざまなモデルが登場し、野球ファンの目を楽しませてきた。
そんな「グラウンドに咲く花」とも言えるユニフォームを現在発売中の週刊ベースボール5月11日号では大特集しているが、中でも一番目を引いたのが1973年の日拓ホーム・フライヤーズが着用した「七色のユニフォーム」だ。
このシーズンの後期だけ着用され、期間もわずか3カ月あまりだったため、実際に球場で7種類のカラーを見た方はおそらくいないだろう。それもそのはず、当初はローテーションで順番に回す予定だったが、監督を務めていた
土橋正幸が勝った試合のモデル(ゲン担ぎのため)を何度も着回したため、カラーによって登場回数に偏り出てしまい、結局公式戦で着ないまま終わったモデルもあった。
見た目も鮮やかで、遊び心あふれるユニフォームではあるが、大変だったのはチームの用具係。ホームゲームならまだしも、地方への長期遠征時には何百枚ものユニフォームを準備しなければならず、試合後に明日の試合はどのカラーを着るのかも含め、毎回冷や汗をかいていたという話も残っている。おそらく2度とお目にかかれない、球史に残るユニフォームだった。
写真=BBM