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山崎武司、小早川毅彦、遠山奨志……「野村再生工場」で復活した選手たち

 


 平成時代に監督として最多の1053勝を積み上げた野村克也氏は、力を発揮できずにくすぶっていた他球団の選手を獲得して再生させる能力に長けていた。その手腕は「野村再生工場」と呼ばれ、多くの選手が一軍の主力となって光り輝いた。以下の選手たちはその代表格で、その活躍ぶりを鮮明に覚えている野球ファンは多いだろう。

南海・江本孟紀


・江本孟紀(東映、南海、阪神
※通算成績395試合登板、113勝126敗19セーブ、防御率3.52

 ドラフト外で入団した東映を1年でトレードとなり、南海へ。当時の野村監督から叩きこまれた「シンキング・ベースボール」で移籍1年目に16勝をマーク。前年の0勝からエース格に飛躍した。南海で4年連続2ケタ勝利を挙げ、江夏豊らとのトレードで阪神へ。阪神でも4年連続2ケタ勝利と先発ローテーションで活躍した。

南海・山内新一


・山内新一(巨人、南海、阪神)
※通算成績431試合登板、143勝142敗、防御率3.74

 巨人の在籍4年間で計14勝。快速球が自慢の右腕だったが、右ヒジを痛めて球速が落ちていた。73年南海へ移籍し、野村監督から「村田(村田兆治)はスピードで20勝する。お前はコントロールで20勝したらそれでいい」と言葉を掛けられ、外角に逃げるスライダーで凡打の山を築く技巧派に転身。73、76年に20勝をマークするなど、南海のエースとして長年活躍した。


・小早川毅彦(広島、ヤクルト)
※通算成績1431試合出場、打率.273、171本塁打、626打点、34盗塁

 左の長距離砲として広島で活躍したが、若手の台頭で96年に8試合の出場に終わり、同年オフに自由契約で野村監督の誘いを受けてヤクルトに。97年4月4日の巨人との開幕戦(東京ドーム)で、スタメンに抜擢され、当時3年連続開幕戦完封勝利をマークしていたエース・斎藤雅樹から3打席連続本塁打を放った。この開幕戦の活躍は現在も野球ファンに語り継がれるほど衝撃的で、同年のリーグ優勝に大きく貢献した。

阪神・遠山奬志


・遠山奬志(阪神、ロッテ、阪神)
※通算成績393試合登板、16勝22敗5セーブ、防御率4.38

 阪神に高卒入団1年目の86年に8勝を挙げたが、その後は左肩痛に悩まされてトレード移籍したロッテで野手転向。97年限りで戦力外通告を受け、古巣に復帰すると野村監督の助言でオーバースローからサイドスローにフォーム改造して運命が変わった。シュートを習得し、左打者のワンポイントで99年から3年連続50試合登板。巨人の松井秀喜を抑え込んで「ゴジラキラー」と呼ばれた。

ヤクルト・田畑一也


・田畑一也(ダイエー、ヤクルト、近鉄、巨人)
※通算成績166試合登板、37勝36敗1セーブ、防御率4.14

 ダイエー(現ソフトバンク)の在籍3年間で2勝のみだったが、ヤクルトへ移籍して覚醒した。96年に12勝を挙げると、97年も15勝をマークしてリーグ優勝に貢献。捕手の古田敦也と最優秀バッテリー賞を獲得した。ダイエーではまったく無名だった投手が、ヤクルトで最多勝を争う活躍をするほどの成長を遂げたことから、「野村再生工場の最高傑作」と呼び声が高い。

・山崎武司(中日オリックス、楽天、中日)
※通算成績2249試合出場、打率.257、403本塁打、1205打点、14盗塁

 中日時代は96年に本塁打王を獲得するなど右の長距離砲として活躍していたが、トレード移籍したオリックスでは人間関係などで悩み、一度は引退を考えるほどだった。楽天で野村監督と出会い、配球を読む打撃スタイルで39歳の07年に43本塁打、108打点で2冠王に輝く。プロ21年目での40本塁打、100打点での本塁打王、打点王は史上初の快挙だった。同年からの4年間で計136本塁打と主軸として活躍した。

楽天・鉄平


・鉄平(中日、楽天、オリックス)
※通算成績1002試合出場、打率.278、42本塁打、340打点、68盗塁

 中日では在籍5年間で52試合の出場のみ。一軍はレギュラーが固まっていたためチャンスが少なかった。当時の落合博満監督から「ほかの球団だったらチャンスがあるんじゃないか」と配慮され、05年オフに楽天にトレード移籍。登録名を本名の土谷鉄平から鉄平に変更し、移籍1年目に103試合出場で打率.303をマーク。09年には打率.327で首位打者を獲得するなど、野村監督も野球センスを認める安打製造機だった。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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