週刊ベースボールONLINE

週べ60周年記念

揺らぐ? 東映大奥城/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

シフトを破った張本勲


表紙は巨人王貞治



 今回は『1971年9月13日号』。定価は90円。

 8月17日に死去した東映・大川博オーナーの後日談から。
 財界の大物だけに、政財界は一時、大騒ぎになったらしい。
 一つには大川の病状の変化が急激で、かつ、かん口令が敷かれていたからだ。
 6月末までは球団関係者を呼び出し、叱咤激励もしていたらしいが、7月12日に極秘入院。このとき、すでに病状は最悪で、入院していても何の処置もできないとなって、8月8日自宅に戻り、17日に死去した。
 田沢球団代表は、
「おやじさんは優勝して600番の背番号をつけたユニフォームを着るのを楽しみにしていた。その望みを一度でいいからかなえてあげたかった」
 と話した。
 62年の優勝、日本一の際は「100」の背番号を着けた大川オーナー。なぜ「600」なのかは書いてない。

 斜陽と言われた映画産業だが、大川オーナーはボウリングや不動産、ホテル業など多角的な経営により大きな利益を出していた。ただ、唯一、思うようにいかなかったのが「フライヤーズ」だったという。

 東映については岡田茂が新社長、球団については大川の息子の毅が新オーナーと発表された。
 身売りのウワサもあったが、大川新オーナーは「絶対にない」と否定。2年間、ニューヨーク支社長時代もあった新オーナーは、「弱くても人気があったニューヨーク・メッツのようなチームにしたい」と語り、2年契約の田宮謙次郎監督の後には、張本勲のプレーイングマネジャーか、元巨人・金田正一の招へいを考えていたようだ。

 その東映では打率2割7分台に低迷していた張本が猛烈な勢いで打ち始めていた。
 大川オーナーが死去した17日からの7試合では打率.451、ついに3割も視野にとらえた。
 これに対し、南海が張本シフトを敷く。

 25日の神宮での試合では張本が打席に入ると、レフトの富田が二遊間の間に入り、外野も前進守備にした。
 南海の先発は西岡三四郎だったが、野村克也監督によれば、
「張本は、今シーズン、西岡から外野フライも打ち上げていない。徹底的に内角を突けば、必ずゴロになる」
 というものだった。
 最初はシフトにはまったか遊ゴロ。しかし6回二死の2度目の場面はボールが外角に行くと、三塁ベース上に狙い済ませた打球。無人のレフトをボールが転がる間に一気に三塁打、さらに次の9回は内角いっぱいに速球を西岡の右ヒザに当てる投手強襲ヒット。
「敵がシフトを敷くなら、その裏をかくだけさ」
 張本は愉快そうに大笑いした。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング