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【オリックス神戸移転30年(1)】2つの変遷を知る男・山内嘉弘

 

『阪急ブレーブス』が球団経営を譲渡して1989年に『オリックス・ブレーブス』が発足した。91年にはチーム名を改め、『オリックス・ブルーウェーブ』となり、本拠地も西宮から神戸へ。そして今年で“神戸移転”30年の節目を迎えた。『阪急』から『オリックス』へ、そして『ブレーブス』から『ブルーウェーブ』へ──。球団史に刻まれた2つの変遷の真っただ中で、現役時代を過ごした一人が山内嘉弘だった。

色調がまったく変わったユニフォーム


入団年の88年は阪急のユニフォームを身にまとった山内だったが(写真右)、翌89年は色調が異なるオリックスのユニフォームを着てプレー


 近大のエース右腕だった山内は1987年秋(昭和62年)のドラフトで阪急から2位指名を受けて入団する。ルーキーイヤーとなる88年(昭和63年)に、上田利治監督がストッパーに抜擢すると、4勝11セーブの大活躍。「その当時は四球を4つ出す前に、三振を3つ取ればいい。ホームさえ、踏まさなきゃいいと思っていました」と、新人らしからぬ強気な投球ぶりは、若き守護神にふさわしいものだった。

 その年の10月19日。西武と優勝を争っていた近鉄が、シーズン最終戦となるロッテとのダブルヘッダーで、連勝すれば逆転V、1つでも負けるか、引き分けならV逸という、球史に残る「10・19」の死闘を、川崎球場で繰り広げたまさにその日、阪急からオリックスへの身売りが発表された。

「新人で入って『これから、ここが俺の職場だ』と思いながら、西宮球場でランニングしたのが、1年前でしたから……。どこへ行くんだろうって、ちょっと不安になったのを覚えていますね」

 親会社が変わると、ユニフォームももちろん変わる。山内の入団当時の阪急は、ホームでは白地のユニフォームに、胸には筆記体の赤文字で「Braves」のロゴ。ビジターでは上下ブルーで、胸には「HANKYU」。シンプルながら、重厚なイメージを漂わせていたものから、白地のユニフォームの胸ロゴは、ゴールデン・イエローに、オリックス・ブルーの縁取りで「Braves」となり、ビジター用は、オリックス・フルー地ユニフォームに、胸のロゴはゴールデン・イエローで「ORIX」となった。

 色調がまったく変わったユニフォームへの戸惑いも、山内は覚えているという。

「うーん、何て言ったらいいんでしょうね……。もっと渋い感じになるかと思ったら、最初、パジャマみたいな感じだったですね。でも、不思議なもので、門田(博光)さんやブーマー(・ウエルズ)がいて、強かったでしょ、あの当時? そうすると強そうなイメージに見えてくるんですよね。オリックス・ブレーブスのとき、ブルーサンダー打線ですごく強いイメージを植え付けたんじゃないですかね」
 
 山内も、オリックス元年の89年(平成元年)には、4勝12セーブをマーク。しかし、右ヒジを痛めたプロ3年目の90年(平成2年)は一軍登板なし。翌91年から、チーム名が「オリックス・ブレーブス」から「オリックス・ブルーウェーブ」に変わり、さらに本拠地を西宮から神戸へ移すことが発表されたとき、山内は右ヒジを手術した病院のベッドの上にいたという。

「『ブルーウェーブ』と聞いて、病室で早速、サインを考えて書いてみたんです。だから多分、ブルーウェーブのサインを書いた選手は僕が一番ですよ」と当時の思いを、関西人らしい笑いのエピソードを交えながら、振り返ってくれた。

心待ちにする“復活”


ヤクルトにトレード移籍した95年は、奇しくもオリックス対ヤクルトの日本シリーズに(写真はイチロー


 ただ、新生・ブルーウェーブとなってからの山内は、かつての輝きをなかなか取り戻せなかった。

「手術をしてからは、全然でした」と91年(平成3年)以降の4シーズンで、一軍登板はわずか7試合のみと「イチロー、田口(壮・現オリックス一軍野手総合兼打撃コーチ)がいて、一番強かったころが僕は一番しんどかったときですね」。

 山内は、阪神大震災が発生した95年(平成7年)に、鈴木平との交換トレードで、野村克也が率いるヤクルトへ移籍。その年の日本シリーズは、ヤクルトとオリックスとの対戦。山内は投げる機会こそなかったが、シリーズ前のミーティングに呼ばれて「オリックスの個々の特徴とかを話しましたね。投げたかったですけど、まあ、山内が抜けたからオリックスが勝ったと言われても嫌だったんで(ヤクルトが4勝1敗で)日本一になって、嬉しかったです」。

 8年ぶりの白星を含め、2勝をマークした97年(平成9年)を最後に現役引退。その後、山内は古巣のオリックスに復帰すると、打撃投手など、裏方業に専念。今年は二軍の用具担当として迎えた。真っ黒に日焼けした精悍な顔つきで、54歳になった今季もチームと若手選手たちの成長ぶりを、背後から支えている。

 その山内の自宅玄関とリビングには、オリックス・ブレーブス時代の雄姿のパネルと、阪急ブレーブス時代に造られたという、山内のポスターが飾られている。そのいずれもが、投球時のシーンだという。

「ここ、こうしたら、もっとよくなったかも……とか、思いますよ。今さらですけど、こうやっとけばよかったな、とかいうのも、やっぱりありますよね」

 今季は神戸への移転から30年目、阪神大震災から25年。オリックスは『THANKS KOBE 〜がんばろうKOBE 25th』と銘打ち、ほっともっとフィールド神戸で行われる3試合で、選手たちは『ブルーウェーブ』の復刻ユニフォームでプレーする。

「あの当時は、ちょっと軽い感じのユニフォームだと思ったんです。でも、見慣れてくると、なかなかいい感じですよね。神戸には、あれが合っていたんですね。ブルーウェーブっていう名前も、よかったような気がします」

 身売り、名称変更、本拠地移転という激動の中で、山内もまた、山あり谷ありのプロ野球人生を送ってきた。そんなすべての思い出がつまったユニフォームの“復活”を、山内もまた、心待ちにしている。

取材・文=喜瀬雅則 写真=BBM


【THANKS KOBE 〜がんばろうKOBE 25th〜 開催】
オリックス・バファローズが、今季『ほっともっと神戸フィールド』で開催する全3試合、9月15、16、17日の楽天戦で『THANKS KOBE 〜がんばろうKOBE 25th〜』を開催する。1995年1月17日、当時『オリックス・ブルーウェーブ』の本拠地・神戸を襲った未曽有の大地震『阪神・淡路大震災』。その年“がんばろうKOBE”を合言葉にリーグ優勝、翌年には日本一に輝き、復興のシンボルとして神戸市民の皆様とともに戦ってから25年。そして球団としては神戸移転30年を迎える2020年シーズンに開催する同イベントで、監督・コーチ・選手が1995年当時のオリックス・ブルーウェーブの復刻ホームユニフォームを着用して戦う。
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