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日本人メジャーの軌跡

“修学旅行気分”が日本初のメジャー・リーガーになった村上雅則/日本人メジャーの軌跡

 

1964年の村上雅則から今年の山口俊筒香嘉智秋山翔吾まで、日本選手のメジャー・デビューと1年目を振り返っていく。それぞれの思いを胸に太平洋を渡ってきた、日本人メジャーの戦いの跡をたどる。

1Aで好投してメジャーへ


ジャイアンツ・村上雅則(右)


 1964年9月1日、ニューヨークのシェイ・スタジアム。ジャイアンツの村上雅則がメッツ戦の8回、0対4とリードされた場面で登板した。日本人初のメジャー・リーガーが誕生した瞬間だった。1安打を許しながら無失点で終えた。ブルペンからマウンドに向かう際には緊張したというが、そのとき思わず「上を向いて歩こう」を口ずさんでいたというあたりに時代を感じる。

 センターを守っていたのはメイズ。相手メッツの指揮官はヤンキースで世界一7度の名将ステンゲル。シェイ・スタジアムはこの年開場したばかりで3万9379人が来場とはなやかな舞台であった。

 ただ、村上は与えられた環境の中であこがれの場に至ったという感がある。法政二高から南海に入り2年目。野球留学でジャイアンツ傘下に派遣された。南海はメジャー昇格など想像もしておらず、将来のために経験を積んでほしいと考えていた。

 春キャンプを終え1Aフレズノへ。現地で知り合った日系人宅でお世話になりながら、スクリューボールを武器に救援左腕として49試合11勝7敗0セーブ、防御率1.78の好成績を収めた。8月29日に昇格を告げられた。ニューヨーク行きの航空券を渡され、英語の辞書を頼りひとりで移動。試合開始直前に契約を交わすという、ドタバタぶりだった。

 この出来事に現地の日系人は大喜びした。終戦からわずか19年。肩身の狭い思いで暮らしていた者もいたという。そこにヒーローが突然現れたのだが、日本では10月10日から東京五輪を控えていたことで、報道はさほど大きくなかったようだ。その後、ジャイアンツと南海の二重契約問題が起き、結局65年終了後、南海に戻る。

 2015年にロサンゼルスで講演した村上は「修学旅行気分で来たのが、メジャーに上がった。もう少し(メジャーで)投げたかった」と口にしていたものだ。

 それから20年後の85年、江夏豊がブリュワーズの春キャンプに参加したが、最終的にメジャー昇格はならず。マイナーでチャンスを待つこともできたが「メジャーでプレーするのが目的でなく、最後に納得できるところで投げたかった」と開幕前に帰国し、現役引退した。サポートをしたのが、団野村だった。この10年後の95年、野茂英雄が海を渡って日本人メジャー・リーガーのパイオニアとなったとき、代理人として登場することになる。(文中敬称略)

『週刊ベースボール』2020年8月24日号(8月12日発売)より

文=樋口浩一 写真=BBM
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