一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 川上監督の非情の宣告
打者に背中を見せてから投げる。これは62年新人年の写真
今回は『1971年12月27日号』。定価は90円。
エースのジョーこと、
巨人・
城之内邦雄が31歳で引退を決めた。
川上哲治監督2年目の1962年に入団した選手の一人で、この中の現役は
柴田勲だけになった。
1年目から24勝、7年で129勝を挙げたが、以後腰痛に苦しんだ。それでも70年にはほぼ回復し7勝も、71年は5試合のみの登板に終わっていた。
「去年も俺、相当考えたよ。監督に相談に行こうか行くまいか。でも決心がつかなかったよ。この1年でやっと思い切れたんだ」
引退するかどうかではない。巨人にとって、自分は必要かどうかである。
ずっと葛藤していた。
「自分はまだやれる、勝てないのは試合に出してくれないからだ。自分の力が落ちたわけではない」
しかし、この年、一軍にいながら出番がほとんどない。
8月下旬に当て馬に使われ、日本シリーズでは打撃投手をさせられ、日米野球のオリオールズ戦では声もかからなかった。
プライドがズタズタになっていた。
相談した川上哲治監督は冷たかった。
「巨人は必要としない。好きなようにしなさい」
これで吹っ切れた。移籍のウワサもあったが、
「自分の意思で巨人に入ったのだから、自分の意思でやめよう」
と決めた。
納会の夜、仲間と麻雀をし、こんなことを言ったという。
「ほかのチームに行っても、いつかは同じ目にあわなきゃいけない。また同じようなことで苦しむのはイヤだよ」
翌春はアメリカに行き、メジャーのキャンプを回って勉強する予定というが、その後は決まっていない。
「解説の仕事をもらえたらと思っている。なんとかなるだろ。俺、口下手だし、文章だってうまくない。みっちり勉強してからのことだけどね」
エースのジョーは寂しそうに笑った。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM