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17連敗にマウンドで涙…イチローの好敵手と呼ばれた「魂のエース」とは

 

臆せずに内角を攻める投球


ロッテで気迫あふれるピッチングでファンから絶大な人気を誇った黒木


 1球投げるたびに雄叫びを上げ、闘志を前面に出す投手がいた。同学年のイチローにも真っ向勝負でぶつかった。「魂のエース」と呼ばれ、ロッテのエースとして活躍した黒木知宏だ。

 宮崎県で生まれ育った黒木は小学生のときにソフトボールチームのエースだったが、中学時代は野球よりボディービルに熱中。パワーリフティングの県大会で優勝している。延岡学園高に進学すると3年夏に甲子園に出場。1学年下の黒木純司(元日本ハムほか)とバッテリーを組んだ。社会人野球・新王子製紙春日井で本格派右腕として注目され、95年にドラフト2位でロッテに入団する。

 愛称のジョニーは髪形をスポーツ刈りにしていたときに演歌歌手の山本譲二に似ていたことに由来する。1年目から先発、救援で投げて6月30日の日本ハム戦でプロ初勝利をマーク。ヒーローインタビューで、「(背番号)54番はジョニーですので、よろしくお願いします!」とアピールしたことで、プロ野球ファンにもジョニーの愛称が定着した。

 2年目から先発ローテーションに定着すると、3年目の97年には12勝をマーク。13完投、240回2/3の投球回数はいずれもリーグトップだった。140キロ後半の直球、スライダー、フォーク、カーブとすべての球種の質が高い。制球は決して良くなかったが内角を突いて、相手打者ににらまれてもにらみ返す気持ちの強さで誰もが認めるエースだった。特に球界を代表するイチローとの対決は「平成の名勝負」と呼ばれ、臆せずに攻め続ける黒木の球には気迫が乗り移っていた。

 98年に13勝を挙げて最多勝を獲得したが、プロ野球ファンの間で語り継がれているのが「七夕の悲劇」だ。この年のロッテは投打で戦力が充実し、優勝候補に挙げられていた。4月終了時点で首位。だが、守護神の河本育之、セットアッパーの吉田篤史が戦線離脱すると悪夢が待ち受けていた。6月13日のオリックス戦で小宮山悟が崩れて黒星を喫すると、連敗が止まらない。黒木が急きょ守護神に抜擢されたが、不慣れな役回りで3日連続の救援失敗で再び先発に戻る。

 7月5日のダイエー戦も大敗を喫してプロ野球タイ記録の16連敗を喫すると、試合後に、ファンたちが選手の乗るバスを取り囲んだ。マスコミが色めきだったが、ファンたちは「俺達の誇り千葉マリーンズ。どんな時も俺達がついてるぜ。突っ走れ勝利のためにさぁ行こうぜ千葉マリーンズ。ラーララーラーラーラー」と選手のバスに向かって声を振り絞り、歌い始めた。近藤昭仁監督はこの光景に涙を流したという。

連敗脱出だったが土壇場で同点2ランを浴びマウンドに崩れ落ちた


 異様な雰囲気に包まれた7月7日のオリックス戦。連敗阻止を託された先発の黒木は8回まで散発2安打1失点に抑える。2点リードの9回。先頭打者のイチローを空振り三振に仕留めたが、野球の神様は残酷だった。9回二死一塁でプリアムを2ストライクまで追い込んだが、139球目の146キロ直球で同点2ランを浴び、その場に崩れ落ちた。ショックがあまりにも大きかったのだろう。号泣してベンチから来たコーチに抱えられるようにマウンドを降りた。勝利が目前で消えたロッテは延長戦の末にサヨナラ負け。日本記録の17連敗を喫した。

 黒木は悔しさをバネにさらにたくましくなっていく。99年は自己最多の14勝をマーク。212回1/3はリーグ最多だった。孤軍奮闘するエースに登板過多を心配する声が聞かれる中、体に異変が生じる。00年に4年連続の2ケタ勝利を挙げたが右肩に違和感を覚える。そして、01年。前半戦だけでリーグトップの11勝をマークするが、右肩は限界だった。後半戦に戦線離脱すると、一軍のマウンドから2年間姿を消した。

 黒木の現役生活は13年間。プロ7年目までに73勝をマークしたが、その後の6年間は故障との闘いだった。右肩痛で02、03年と一軍登板なし。患部に負担のかからないサイドスローに近いフォームに改造した時もあった。04年に一軍復帰したが、全盛期の輝きは消えていた。05年に右ヒジ痛を発症。1試合登板のみに終わった07年オフに戦力外通告を受ける。現役続行を宣言したが、他球団からのオファーがなく、現役引退を表明した。

 プロ通算199試合登板で76勝68敗1セーブ、防御率3.43。引退セレモニーが行われた08年3月15日のオープン戦・楽天戦(千葉マリン)は、前売り券2万5000枚が完売、当日券も発売10分で売り切れるなど2万8926人と超満員の観客がスタンドに詰めかけた。黒木が引退セレモニーで「マリーンズに入団して13年間本当に幸せでした。マリンの声援が僕に勇気と力を与えてくれました。マリンのマウンドが大好きでした!」と叫ぶと、涙を流すファンの姿が。「ジョニー」コールが鳴り響く中、すがすがしい表情で手を振った。ロッテの低迷期を支えたエースの生き様は見る者の心を強く揺さぶる。引退して10年以上経った現在も絶大な人気を誇るのがその証だ。

写真=BBM
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