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東海大菅生が秋季東京大会で優勝にこだわった理由とは?

 

2018年秋の苦い記憶


東海大菅生高は今秋の東京大会で6年ぶり3度目の優勝。この1勝には、さまざまな思いが詰まっていた


 何度も言った。繰り返し言わざるを得なかった。勝つしかないからである。

「ここで負けたら、何の意味もない。勝たなかったら、甲子園はないよ!」

 東海大菅生高・若林弘泰監督は関東一高との東京大会準決勝勝利後、ナインの前で言った。日大三高との決勝当日も、再確認し、この言葉で念押ししている。

「もしかしたら? はないよ!」

 なぜ、ここまで優勝にこだわったのか?

 2018年秋、東海大菅生高は東京大会準優勝だった。国士舘高との決勝は3対4と善戦。しかし、翌年1月のセンバツ選考委員会では関東5位校・横浜高との比較検討となり、東京2位校・東海大菅生高が惜しくも出場を逃している。横浜高は前年秋の関東大会準々決勝(対春日部共栄高)で、7回コールド敗退(2対9)を喫しながら、吉報が届いた。関東・東京の一般選考枠は「6」であり、関東4、東京1が基本枠としてある。すなわち、最後の1枠をめぐる選考が毎年、混迷を極める。

 つまり、東京地区が文句なしで選出されるためには、優勝が絶対的な条件。準優勝の「もしかしたら?」は何のアテにもならず、若林監督は仮に選出されたとしても「オマケみたいなもの」ととらえている。期待をすればするほど、落選したときのショックは大きい。

 だからこそ、勝利のみを求めた。日大三高との決勝は投打で上回り、6対1で快勝し、6年ぶり3度目の優勝を決めた。

 思い起こせば、東海大菅生高は14〜16年と3年連続で西東京大会決勝敗退という屈辱を味わった。3年分の「思い」を背負った17年には17年ぶり3度目となる夏甲子園出場を遂げると、本大会では4強進出と同校最高成績を残した。過去には敗戦を糧に這い上がり、今回も「2年前に悔しい思いをしている」(若林監督)と、原動力としてきたのは事実だ。

 若林監督は「できるか、できないかは別にして、そこを目指さないとダメ」と毎年、日本一をテーマに掲げる。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、今年は春の東京大会、夏の地方大会、全国大会(甲子園)が中止。各地区で開催された都道府県高野連主催の独自大会では、3年生を優先してメンバー入りさせる学校もあった。だが、若林監督は「3年生だけではなく1、2年生も春と夏を戦えなかったのは同じこと。ベストメンバーで戦うのが私の考え」と、コロナ禍でもチーム方針を変えることなく、西東京大会と東東京大会優勝校(帝京高)との東西決戦を制している。

秋の優勝で立ち止まれない


 結果的に激しいチーム内競争を勝ち抜いた1、2年生が夏の独自大会から多くの場数を踏んだことが、この秋は経験値として生きた。帝京高との東西決戦では千田光一郎外野手(2年)ら2年生以下5人が先発し、1年生・福原聖矢はマスクをかぶった。若林監督は「3年生が財産を作ってくれ、その上にこの優勝があったと思います」と、甲子園が消滅してもモチベーション高く取り組んでくれた3年生に感謝した。

 お世話になった先輩へ恩返しするためにも、この秋の優勝で、立ち止まっているわけにはいかない。主将・榮塁唯外野手(2年)は若林監督によれば、9月上旬に痛めていた右ヒジを手術したため、今大会は出場することができなかった。だましだましでプレーする選択肢もあったが、秋の大会以降の手術では、センバツに間に合わない可能性がある。さらには来春、夏まで影響を及ぼすことも視野に入れ、秋の「全休」を決断したのだった。榮は仲間を信じ試合中、三塁コーチとして声を張り上げ、思いは通じた。優勝後の場内インタビューでは「目標は日本一。スタートラインに立ったに過ぎない。甲子園で優勝できるよう頑張っていく」と気合を込めた。

 東海大菅生高は大きな壁を乗り越えた。最終的には来年1月29日のセンバツ選考委員会を待つ形となるが、6年ぶり4回目の出場を当確の立場とした。若林監督も「(これから迎える冬場も)前向きに練習ができる」と、正直な胸の内を語った。モヤモヤを抱えることなく、気持ち良く年を越せるのだ。

文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎
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