週刊ベースボールONLINE

HOT TOPIC

メジャー通算148本塁打も…日本で「球が怖い」と突如引退した助っ人は

 

ホーナーと同じ時期に来日


メジャーで実績があり、その打棒が期待されたレスカーノだったが……


 ヤクルトボブ・ホーナーが「赤鬼旋風」を巻き起こしたのが今から33年前の87年。4月に途中入団すると、デビュー4試合で6本塁打を放つなど打率.327、31本塁打と大活躍した。このホーナーと同様に現役メジャー・リーガーとして活躍し、同じ時期に来日したものの、わずか20試合出場して突然退団した助っ人がいた。大洋のシクスト・レスカーノだ。
 
 レスカーノはプエルトリコ出身。メジャーで75年から5年連続で100安打を記録するなど通算1122安打、148本塁打をマーク。独特のクラウチングスタイルからフルスイングする打法でミート能力、長打力を兼ね備えた強打者だった。79年には打率.321、28本塁打、101打点。外野守備も強肩が評価されてゴールドグラブ賞も獲得し、地元記者が選ぶブリュワーズの最優秀選手にも選出された。

 一方で、繊細な性格でも知られた。フィリーズでプレーした83年にワールド・シリーズで四番を任されたが重圧で体調を崩して試合を欠場。86年は筋無力症で闘病生活を送っていた妻の看病のため、プレーしなかった。

 大洋に入団したのは開幕直後の87年4月1日。背番号は野手では珍しく、投手のエースナンバー「18」だった。レスカーノの加入により、前年に打率.291、14本塁打、75打点、14盗塁と活躍したローマンが外国人枠の関係でファーム行きを通告され、退団する騒動もあった。古葉竹識新監督はカルロス・ポンセとの主軸コンビとして期待を寄せる。4月19日のデビュー戦・ヤクルト戦(神宮)で猛打賞と最高のスタートを切り、5月9日の巨人戦(横浜)では初回に水野雄仁から左中間へ先制3ラン、斎藤雅樹からも左翼席上段に運ぶ2ランで5打点の大暴れ。本領発揮と思われたが、翌日の試合から22打席連続無安打と快音が聞かれなくなる。外に逃げる変化球に弱いと分析され、弱点を徹底的に突かれた。9日の巨人戦終了時に打率.313だったが、打率.217まで落ち込んだ。
 
 まだ来日して2カ月も経っていない。日本の野球、環境に適応すれば巻き返せる可能性を十分に秘めていた。ただ、周囲の思いとは裏腹にレスカーノはスランプに陥り完全に自信を喪失していた。眠れない日々が続き、ポンセに苦悩の胸中を吐露することも。繊細な性格に加え、異国の地で期待に応えるプレーができず精神的に追い詰められていたのかもしれない。

「140キロのボールにも……」


わずか20試合の出場でユニフォームを脱ぎ、アメリカに帰国してしまった


 レスカーノは驚きの決断をする。5月16日の中日戦(横浜)、最初の2打席に三振、三ゴロと凡退すると、自ら「代えてくれ!」と古葉監督に申し出て、ついにリタイア。翌17日に現役引退を発表した。

 横浜スタジアムで会見を開き、「自分の野球人生は燃え尽きてしまった。150キロのボールも怖くなかったが、今は140キロのボールにさえ向かって行けない。これ以上、プレーを続けることは、ファンを裏切ることになるし、自分の心を偽ることになる」と目に涙を浮かべた。チームメートへの別れの言葉は「ボクのスイングはマネしないで……」と精いっぱいのジョークで締めくくり、会見を終えたその足で成田空港から帰国の途に就いた。

 20試合出場で打率.217、3本塁打、7打点。メジャー通算148本塁打の主砲が、直球に恐怖心を抱いて途中帰国するとは誰も想像できなかった。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング